明後日には最低気温が20℃を切る様になる、という予報は変わらない様ですが。昨日の夜から今朝にかけては熱帯夜でしたし、季節は徐々に進んでいってはいるものの、最高気温を見ると30℃切っていても30℃近い夏日が続きます。いやそんな中ではあるのですが、この時期は売上が落ちる時期でして。かつてはニッパチ(2月・8月)と称して語られていた売上の落ちる時期ですが、端境期がずれ、尚且つ長期化している為にどちらかというとこの位の時期の方が売上が下がります。実際消費者の立場になって考えれば、猛暑日が続き30℃前後の最高気温の日が続いている中、9月だからといって秋冬物を買う、というのは余りにリアリティがないです。ダウンやファーやレザーのウェアをこのタイミングで投入し、希少性や早期枯渇を匂わせて売る、という販売手法もあまりに消費者を蒙昧と侮っている気がしますし、実際そのものの日本流通量は限られていても、同クオリティの同じ様な物は溢れている場合が多く、上手く立ち回ってお金を稼ぐテクニックでしかないと私には思えます。
物を売る事を商売にしている身でこういった事を書くのってどうなのよ、と思わなくもありませんし、実例を出すと同業他社や関連事業を営む他社への批判になってしまうので、多くの同業者は話題にしないと思うのですが、自浄が働かない文化というのはどんどん劣化して結局は自らの存在意義を失ってしまう事になりかねないと思いますので敢えて今日はBtoCなビジネスのあり方について書かせて頂きます。
物を売る事を生業にしていると、結果が全てという判断をする事される事が多くなります。売れたもん勝ち、というのもそうですし売れた物が良い物というのもそうです。時代を超えて評価されるレベルの素晴らしい物、というのはなかなかありませんし、それ以外を削ぎ落としてしまったらそもそもそういった素晴らしい物も生まれないでしょう。例えばそれが音楽を例に取ると、今ではボカロで様々な楽器をミキシングして自分で音楽を配信する事が出来ます。その現代にあってクラシック音楽やジャズ、カントリーやロカビリーとインターネットがなく世界中で情報を共有出来なかった時代の音楽であってもこれは良いと感じる人が多い楽曲は多数存在します。それ等が様々な場で流されている中、意識するしないに関わらず全く耳にしないで生活出来る人というのは余程隔絶された地でネットと関わらず暮らしているのでもなければありえません。なので様々な過去の旋律を全く聴かずにオリジナル曲を書ける人はほぼ存在しないのです。
来月公開される“YESTERDAY”。自分以外ビートルズを知らない世界になってしまったら?という設定のこの映画、監督のダニーボイルには代表作であるトレインスポッティングの丁度その時代感や、その延長上にある今の英国(トレインスポッティング2)のリアルクロージングを提案している身なのでとても馴染みがあるのですが、今回のこの映画はとてもシニカルなアナグラムの効いた話で、自分以外にとっては経験した事のない素晴らしい物であって、それ以上の物を産み出さないと評価されず鬱屈として過ごしていた身としてはその提案をするだけで絶大な評価を得られたとしても、それが剽窃でしかない事は自分がよく知っている、という事が自分を苛む、というもの。時代を超えて歌い継がれる名曲をちりばめ、現在の人気ミュージシャンであるエド・シーランも出演しているこの映画、レトリックとして楽しいし今年最も個人的に見に行きたいと思えた映画ですが、主人公ジャックが持つ事になる葛藤がビジネス=金儲けと割り切るだけで恥ずかし気もなくやれている企業やそれを構成する個人のなんと多い事か。
ロジックとして被ってはいるものの、ビートルズの楽曲は紛れもない本物なので完全に同じ構図ではないのですが、ライセンスで名前だけ使って本来のあり様とは全く違う物にして、そのイメージやネームバリューやそれ持っときゃ格好良いとかお洒落とか、そういうイメージをメディアやネットを駆使して植え付けて物を売る、というビジネスモデルが実に多いのがこの頃頓に目につくのです。今日こんな事を書こう!と思い立ったのも某ファッション情報サイトでイタリアンカラーのリボンをブランドタグに使っている某ブランド、本来鞄メーカーだったはずだけどフェリージが提案したイタリア製のナイロン×レザーの仕様を模倣したファクトリーのファクトリーブランドなので、手が届く価格で小回りが利くロットで提案されていた事から、日本でだけ猫も杓子もって感じでそれ持っとけばイケてるみたいな錯覚を作りだす事に成功し、気が付いたら一見レトロ風だけどアジア生産のクォーツの時計やセメント製法のビジネスには本来向かないデザインだけどそれを小洒落ていると勘違いしそうな多くの消費者には知名度があるから売れそうな革靴や、遂にはスーパーの雑貨売り場で売られる様な小物迄展開しているところですけど、そこのイタリアの本社が清算手続きを進めている、というニュースが出ていたから。
日本の某大手商社が既にマスターライセンス権と商標権を取得しているから影響がないそうですが、その某ファッション情報サイトをしてそのブランドの説明が“日本のビジネスパーソンから高い支持を受けるイタリアのトリコロールカラーのリボンの付いたビジネスバッグ”ですからねぇ。いやいや、そのリボンて紙の下げ札の代わりに付いている物で付けたまんま使っているのはそれついてたらお洒落とか勘違いしている判っていない恥ずかしい人だから!と突っ込まないといけないのでしょうか。で、これ元々提案した本家本元があって、それに対してファクトリーが似た様な物を同じ素材で提案したから安くて良いでしょ、という程度の物でしかなかったのに、然もそれがイタリアのお洒落です、といわんばかりのプロモーションを展開して、イタリア人は誰もそんなもんブランドとして認知していないからファクトリーとしても清算しないといけない様な状況になっているのに、その虚構でしかない名称とイメージだけを大手商社が使って本来の物とは何となくの見た目以外別物なのに多角的な展開をしてしまっているのが実状です。しかも以前から供給面で不安視されていたとか、要するに本来のメーカーの生産キャパを越える物量を日本向けにだけぶつけていたけれど、金に物を言わせて商標権等をどんどん押さえていって、旨味を吸い付くしたから後はこっちで勝手にやるからお前達は用済みだ、という事でしかないでしょうに。そして本体が無くなったけれど名称と商社が作ったイメージはありがたく使わせてもらうね、今迄ご苦労様、という事なのですが、こういうのって踊らされる消費者がいけないのか、消費者なんてそんなもんだと高を括ってビジネスを押し進めるのがいけないのか、いずれにしても悪貨が良貨を駆逐して本来の文化を貶める事に変わりはありません。
こんな事は日常茶飯事で本来特筆すべき事でもなく、しかも私もライセンス展開しているアイテムを取り扱っていますから自己批判的な部分もあるのですが、私はライセンス品であっても、いやライセンス品であるからこそ本来のブランドのクオリティと同等かそれ以上で、そのブランドのイメージをより向上させる様な物でなければ取り扱ってはいけないのだと常々肝に命じております。あくまで儲かるかどうかではなくミックスアップ出来る物である事がライセンス契約の本来の姿であって、一方的にネームバリューやブランドイメージを利用する物であってはいけないと思っております。これがまさに本日のタイトルに繋がるのですが、そういう敢えて厳しく剽窃と表現しておりますが、その手法を良しとするかどうかが文化的なあり様の可否の基準だと思っております。
今お金があるというだけなら日本以上に一部の中国企業はバブル経済でお金があるので、成金の次は名声を求めて欧米のブランドネームや歴史はあっても現代のビジネスの潮流から取り残されてしまったところを買って廻る投資ファンドを作ってブランド名を集めています。それを見て何だかなぁ、なんて思っていましたが、日本の商社のビジネス手法も似たり寄ったりどころか更にえげつないやり方で、それに踊らされているのに気付かないというのはとてもじゃないけど順位付けして中国や韓国よりもマシだなんて言えない状況だと私は思っております。
といってもねぇ。こういうのをこうやってブログで訴えてみたところで、大勢に影響なんて全くなく、金のあるところがその資金を使ってそういうボロいビジネスモデルで更に金を儲けるという世のあり様は増々顕著になるのは判っているのです。でもこうやって偶に声を上げる事で、少しでも共感を覚えてそういうポリシーでやっているお店に行ってそういうポリシーを持ってやっている奴と話してみよう、と思って頂ければ、と淡い期待を持ってもいるのですw
SNSを利用する人が多いという事は、意識の共有であるとか共感に安心や判断基準を求めるという事ではあるのですが、意図的な情報操作や多数を占めるところに所属する安心に対して言葉だけで対抗することができる、という事でもあります。実際の歴史や数学や科学は大多数が言っているかどうかなんて基準じゃ左右されません。文化そのものも本来はそうあって欲しいと思うのです。
長々と書きましたが、明日は展示会廻り。明日も収穫が多い展示会廻りになる事は間違いないので、展示会報告、お楽しみに。

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その時代を実体験している年齢となると終戦の年にうまれていても中学生でしょうに。て事は80代の方でもないと実体験としてはなさそうなものですが。その歳で記憶がはっきりしているのであれば凄いですけど、ロカビリーという言葉に何かしらか憧れを抱いていているだけの20代30代程度でしたら、残念ながらロカビリーという音楽ジャンルを引き合いに出してますけど私にロカビリーへの思い入れはほぼないので。
それと我が国でロカビリーが全盛期となるのは昭和三十年代の半ばにかけてだったはず。そもそも洋楽を聴いている人なんて極僅かですからそれ程盛り上がりもせず、セールス面でもそれほどでもないでしょう。その時代ってミッキーカーチスとかささきいさおとかがデビューしている時代ですので、どちらかというと日本で前世は1960年前後、昭和で言ったら35年頃にロカビリーブームがあった、というべきでしょう。ミュージシャンとしてのミッキーカーチスなんて全く記憶にありませんし、私にとってのささきいさおは宇宙戦艦ヤマトですが。
いずれにしろ私の書いているところのロカビリーというのは現代まで残る洋楽ナンバーの事でそれらは確かに1957年頃を中心に全盛を迎えますが、エルヴィスにしろバディ・ホリーにしろビル・ヘイリーにしろジャニス・ジョプリンにしろカントリーでもありロカビリーでもありロックンロールでもあり、現在のロックの源流ともいうべき時代もジャンルも超えたアーチストで、戦後復興に勤しむ日本の流行とは別物です。
それとブログの趣旨とは全く違うところに食いつかれるのは毎度の事ながら困ったものです。HN変えても意味がないので統一しておいてくれた方が良いかと。ブログの趣旨とは違う書き込みにつきあう私も私なのですが。