2019年06月22日

喜ばしい事




昨日の予定通りですと引き続きパンツをお引き取りにいらした方に写真を撮らせて頂いてそれを紹介しようと思っていたのですが。ありがたい事に本日はこのお天気にも関わらず11時過ぎから14時頃迄お客様が切れずにいらして下さり、その時間にいらして下さったお客様からとても嬉しくなる朗報がもたらされたので、それについて書かせて頂こうかと。お名前やお住まい等の情報を出す訳でも無し、個人の特定は不可能と思われるので経緯は書いても問題ないと判断して書かせて頂きますが、移転前から含めると20年以上営業を続けているので、多くのお客様とお買物以上に色々なお話をしておりますし、結果仕事についてや生活について等多岐に渡って関係性を深めていると自負しております。でもその年月を重ねると、勿論遠方に引っ越されたりご結婚等を期に足が遠のかれたりという方もいらっしゃいますし、新たにお客様として通って下さる方もいらっしゃいます。





その中には不慮の事故で亡くなられた方、病気で命を落とされた方もいらっしゃいますし、職場環境や激務のストレスから心を病む方もいらっしゃいます。人間関係や仕事等の悩みでしたら及ばずながら直接関係のない立場の者としてガス抜きに使って頂いて、それで多少なりともストレスが軽減されるのでしたら構わないのですが、中心となる30代40代のお客様の中には若くして重篤な身体の病に見舞われる方がいらっしゃいます。





今日いらして下さったお客様ももう長いお付き合いで15年以上通って頂いている方なのですが、一昨年、30代の若さで癌に罹患するという事態に。お勤め先の健康診断を毎年きちんと受けており、バリウム飲んだりもしているのにその時点では発見されず、そこから半年も経たないうちに食欲どころか歩くと骨が痛いという事で受診したら、スキルス性の癌でステージ4だと診断されたんだそうです。骨転移していてそれが骨の痛みとなって顕現した為受診したのですが、当然即入院。原発もさる事ながらそこ迄転移していると手術対象ではなくもう余命先刻レベルだったそうな。ただ特定の抗がん剤が有効であるという事が確認され、それによる治療を始めたら劇的に効果があり、数ヶ月で転移していた部分はほぼ消滅。以来仕事に復帰して抗がん剤治療を続けていたのですが、マーカーによる確認をしても原発箇所以外に癌は確認出来なくなっていて、ならばという事でGWにかなり縮小した主病巣の摘出手術をしたそうな。そして目出度く全身から癌はなくなり、この程お誕生月という事で気持ち良くお越し下さったという次第です。





途中途中で状況をお聞きし、一応うちの奥さんは癌看護の専門看護師という事もあり、気休め程度にお話をしつつ、着たい物を着て行きたい所に行きQOLを向上させて、今は癌だって罹患したら終わりじゃなく長く付き合っていく時代になっているのだし、治療法も日々進歩しているのだから、と言っていたら目出度く病巣は全て無くなったという嬉しいお話を頂けたので、いや私としてもとても気持ちの良い事でした。





実際のところこのお客様の治療というのはプレシジョンメディシンによる分指標的薬と言って良い程の劇的な効果があり、500人に1人レベルの驚異的な効果があった事例なので、世の全てにおいてここ迄の精度で効果が出る訳ではありません。それだけにお客様でその年齢で進行の早いスキルス性の癌に罹患するというアクシデントに見舞われた方が、劇的に回復に向かった事がとても嬉しいのです。





こういう仕事をしていると、同僚がいる訳ではありませんから取引先の方とのお付き合いはあっても仕事を始めてからプライベートで友人が増える機会はほぼありません。それだけに長くお付き合いしているお客様はお客様ではありますが、近況を知らせてくれて悩みを打ち明けてくれる、単にお客様というだけではない信頼関係を築けている、と私は思っており、その関係を大切にしております。こちらからはなかなか連絡を取りませんが、遠方にいらっしゃる方、遠方に行かれた方、また最近いらしていないなという方でも、最近どうしているかな、仕事は忙しいのかな、お子さんは元気だろうか、就活どうなのかな、等々気遣っておりますので、是非そういえば最近行ってないし連絡していないな、という方は是非とも遊びにいらして頂きたいものですね。近況をお話ししていかれるだけでも嬉しいので。





そんな訳で本日は生憎の空模様の中、結構色々減っていて、今日の時点で今年のロイヤルロウの麻のジャケットは完売。サンダルにもサイズ欠けが出てきていて、シャツやアイスコットンのパンツも軒並み数を減らしております。特にモンタリアーニのシャツは完売もしくはサイズ欠けが目立ちますね。明日もあまり天気はよろしくない様ですが、皆様のお越しをお待ちしております。


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2019年06月12日

頭が悪いのか、イメージ重視なのか・・・・




雨は降らずに日中は過ごせましたが・・・・・今日はどうにも我が国の政治家ってどいつもこいつもろくでもないんじゃなかろうか、という普段あまりしない政治的なお話を。てか別に私の政治的な方向性を語ろうというのではなく、現実的に例えば我々は現時点で65歳迄働いたとして、一体いくら年金貰えるのか、というのは年金機構からハガキが来て通知されております。でもそれは運用が上手くいった場合の話であって、しかも厚生年金じゃなく国民年金なので微々たるものです。月に10万にもなりません。生活保護で支給される満額、135,000円の6割程度です。当然それに対してその生活保護での最低保証の生活をする為には残りの4割、5万強を自分で捻出しなければなりません。これ憲法の生活権に対して現在我が国が認めている最低レベルの生活で、です。で、95歳迄生きたとして。30×12×5=1800万ですけど、あれ、これ1人の最低レベルの生活を維持するのに1800万円必要なんですが、何処をどう試算したら夫婦2人で2000万必要という計算になるんでしょうか。





この計算は一般的なサラリーマン世帯という事なので、厚生年金を貰う事になり、つまり15万は月に貰えるであろう状況の中でその妻が貰う分とあわせて25万弱、それに加えて2000÷12÷30、月に5万5千円足して夫婦で30万あればそれなりな生活水準を維持していけるよね、という試算でしかありません。もっと稼ぐ生活をしていてそれ以上の生活をしたければ更にですし、逆に年収300万程度の生活だとしたら固定費の割合が大きいので確実にその分がないと破綻します。





そんな事今更2000万とかいう数字を出されなくても、年金支給額を定期的に報告してきていますから判りますって。今更何言ってんだ??という事です。





さて。それに対して。私の政治的な旗幟とは関係ない、と書いておりますが、正に関係ないを示す事になるのですが、自民党政権もあまりにお粗末な両民主党もお約束の共産党もですが、どれを取ってもろくでもない対応しかしておりません。





まず自分達が政権を取っていた時の事を全く棚に上げて2000万という数字だけを挙げつらって詐欺だとか言っている立憲&国民民主党。いや待ってよ辻本さん、あなた方政権取っていた時からは一応数字の上では景気回復しているんだけど、当時厚生大臣だった長妻さんはいざ大臣になったら結局何もしないまま熟考が必要とか言っているうちに政権奪取されただけで、つまり何も具体的に改善する案もなければ実行もしていなかったじゃぁありませんか。それを現政権に対して100年の人生を豊かに生きるというスローガンを掲げたのに自分で金貯めろは詐欺だとかいうのはどの口なんでしょう。遡ればこの現状をどうにも出来なかったどころか悪くしかしていない政権だったのはあなた方です。じゃああなた方が政権取ったら数年でその2000万、埋めてくれるって言うんでしょうか。1000兆円必要ですがww


出来ないのならもっと有意義な事を国会で議論して頂きたいものです。





例えば最近問題になった元大臣、桜田さんの3人産まないと!という発言。あれだって不適切ではありますが、人口を減らさないという点においては結婚して3人以上の子供をもうけなければ2人で±0、1人で半減、0人で2人減という数字は否定のし様がありません。ジェンダーの問題や社会が産み育てて一定水準の生活を確保する環境にないという事や、晩婚化や価値観の変化等、様々な視点から子供をもうけないという選択や1人に注力するという考えだってありですが、その考えと国としての年金問題や少子化の問題は真っ向から対立する問題です。人口増えなきゃ減るんですから。我が国は民主国家であるのでお隣の共産国の様に国の指示で一人っ子政策だとか基本的人権を無視した施策はしません。それでも数字だけを見て考えれば人口を減らさない為には3人以上産まないと増えないというのは数が数えられれば否定出来ない動かない事実なのです。





子育て大変だし子供はあまり作らないけど年金も減らされたら嫌だし、人口が減る事で国民総生産が落ちて景気が悪くなるのも嫌だし、AIでも出来るポチポチ入力してたら終わる様な楽な仕事でそれなりに稼ぎたいし増税も嫌だ、なんてのは願望としては自由ですけどそんなの通らないのはこれも又自明の理です。





にも関わらずその自明の理を個人の無制限な人権の主張と天秤にかけてどうにかせにゃいかんのが政治家というもんだと私は思っているのですが、どうもネット上なんて正にその典型なのですが、大変に衆愚的で、個人の欲求を肯定する事にだけ賛同し、それを抑制する動きには無責任な罵詈雑言をぶつけるのです。そうなると政治家というのはその得体の知れない大衆という固まりを一部書き込みしている人と同義に捉えてその指示を得られないといけないという強迫観念に狩られます。民主主義が選挙によって成り立っている為、選挙の時にはそういう姿無き大衆の支持を得なければいけないと思うので、年金問題には選挙前に触れたくないと政権与党はなりがちです。





今の自民党がそう。正直良い大学出てそれなりな経歴でそれなりな主張をして当選して国会議員になっているだろうに、何故傲岸不遜な先生様になった気でいるんだか、国民の委託を受けてそこにいるという自覚があるなら、己は国民の下僕でしかないという事をよくよく自覚していて頂きたいものなのですが、未だに明治維新の低レベルな先達に憧れて時代錯誤な日本会議とやらに参加していたり、忖度だろうがどっぷり関わっているんだろうがどちらにしろ数の論理で押し切ってあった事もなかった事にしたり、そんな事しているから当たり前の事を当たり前に警鐘を鳴らしただけの報告書に右往左往するのです。毅然として言えば良いんです、別に何がおかしいのだ、と。お前らが政権取っていた時から何も変わらないのだし、全国民が等しく同レベルに満足する老後を年金のみで保障出来るなんて一度も主張した事はない、と。その時よりは短期運用はともかく1年スパンで見たら年金運用もどちらかというと+で廻していて、ここにきて米中貿易戦争であるとかブリグジットであるとか、様々な世界的地政学的要因から損失を出しているけれど、それは世界的にそういう状況にあるんだから年金機構のせいじゃない、と言えば良いのだと私は思うのです。でも言わない。耳触りが悪いから。それじゃ駄目だと思いませんかね。本当の事を歯に衣着せぬ表現で言っても何ら恥じる事のない活動をしているのが政治家のあるべき姿であって、そういう点では自民党、党としてみたらとても諸手を上げて支持したくなるとは言い難いです。





でも先に書いた様に。完全に質の悪いクレーマーの様な事しか言わない立憲民主党、そして後追いの様に選挙意識してか同調する国民民主党。元々無駄を省けば増税しなくても年金も確保出来て社会保障も出来るみたいな妄想しか政策に掲げない共産党、そんなのしかなければ自民党の現況を良しとしていなくても選択肢がないから自民党に入れざるを得ない、という事になってしまいます。少なくとも年金の夫婦で2000万必要試算を選挙の争点にしようなんてお粗末な政党を支持する事なんて出来ません。





そう、我々は現状不幸な事に誠実で現状を改善してくれる政策を持ち、それを実現する政治家集団としての政党を持たない国だ、という事になっているのです。片や長年の実績はあるけれどその分驕っている老害もいれば既得権益やしがらみにどっぷりな政権与党、片や揚げ足を取ったつもりでブーメランで自分を切り刻んでいても気付かない野党。かつて民主党が政権取った時にはこれで日本にも二大政党制がいけるんじゃなかろうかと思いましたが、その期待が大きかった分落胆も大きく、四分五裂した今、トンデモ議員が出てもまだ日本維新の党位がマシなんじゃなかろうかと思えてしまいます。





ともあれ場合によっては衆参両院選挙になるかもしれない様ですし。今日はこれ以上億千万を連呼するエキゾチックジャパンの様に2000万を連呼するおぞましい日本の政治にならない様にして頂きたいものだなぁ、というお話でした。





明日はこれといって展示会がなく。一応天気が良い予報が出ているので生地等見に行ってはきますが、早めに17時迄に帰ってきて新作紹介をしようと思っております、お楽しみに。


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2019年05月31日

それでも命は愛おしく、世界は美しい




気温は25℃前後、曇っていて風もあって過ごし易いはずなのですが、この曇るというのは湿った空気が入ってきているからだそうで昨日と大差ない気温なはずなのに何となくじっとりしております。





そんな5月最後の日ですが。川崎の事件が起きてから数日、報道を含め関係各所もどうにも妙な方向に話が進んでいるのがとても気になっていまして。今日このタイミングならこの話に触れても良いんじゃなかろうか、という事で書かせて頂きます。明日からはプレセール期間ですし。それについてはもう触れてあるので今日は別のお話を、という事で。





50前後で高齢の叔父叔母の家で居候している無職の男が突然直接は関係のない私立小学校の通学バスを待つ子供達とその近くにいた大人に斬りつけ男性と6年生の児童が死亡。小学生の時に両親が離婚し叔父叔母の家に引き取られた犯人。全く関係ないと思われていたその私立小学校に、その叔父叔母の子供2人、つまり同居していた犯人の従兄弟が通っており。本人は公立の小学校で、色々と待遇面で差を付けられていた様です。そして何らかの理由で己の現状に対する不満を爆発させるに至った時、それがコンプレックスの象徴だったかの様にその私立小学校の通学バスを標的にしたのでしょう。





この事件、犯人が遺書等を残さず自殺してしまっているのでそういった背景だとかはあくまでエピソードや事実から類推するしかないのですが、報道もそうですし、訳知りに専門家面してコメントを出す自称詳しい人というのの発言もそうなのですが、何かしらこういう事態になる前にどうにかなったんじゃないかとか、どうしたら防げるのかとか、犯人に類似した類似した心情の人間を刺激しない様にとか、全く意味のない防止策の検討であるとかそんなのばっかり。この衆愚的論理展開、どうにかならんのだろうか、と呆れてしまいます。





まず。こういう事件が起きたからといってエキセントリックに反応するのは、演出的な共感力のアピールか、無知の為せる業であると言わざるを得ません。特段これを期に何か出来る訳じゃないから。そして無差別殺人というのは今に始まった事じゃないから。小学生の列が襲われたから弱者がとか無防備なとか言われていますが、死亡した男性は36歳ですけど無防備である事に変わりはなく。予期せぬ襲撃という点では改修しているビルの外周の足場が崩れて鉄パイプ等が降り注ぐのも、IS全盛の頃に中東で頻発していた人間爆弾の自爆テロも、9.11の様なビルに航空機で突っ込んでビルの崩壊に巻き込まれるのも、理不尽に命を奪われるという点においては変わりがありません。





我が国においても弱者を狙ったというのでは、不名誉な事にここ緑区で発生した障害者施設での大量殺人であるとか、荒川駅周辺での無差別殺傷事件、秋葉原での無差別殺傷事件、大阪の池田小の事件と枚挙に暇がありません。それを絶対に防ぐもしくは最小限の被害で済ます為には主要な駅には完全武装で疑わしきは発砲を含めて制圧する権限を与えられた警備専門の警官を配置し、学校の通学路には範囲が広いので駅より多くの人員を配置する、という事に。それでもやる人は警備の手薄なところでやるでしょうし、防具も武器も持たずに一般人が刃物を振り回す常軌を逸した人物からの攻撃を防ぐのは不可能です。





そう、そういう精神状態になってしまう人、沢山いるのです。表沙汰にはなっていなくても公道で裸で刃物を振り回して措置入院になって以来精神科の入院病棟に入院している、なんて人は数千人じゃききません。宗教的政治的信条から相容れないと認識している国の人間は全て殺しても構わない敵だというテロだってイスラム圏に対するキリスト教国家の経済支配がある限り、潜在的には無くならないでしょう。もっといったらそれが台風だろうとゲリラ豪雨だろうと洪水だろうと大地震だろうと同じ事です。想定を超えた事態に理不尽に奪われる命を完全になくす事なんて出来ないのです。





きっと守る。親が子供に言ってあげられるのは素晴らしい事ですが、身を挺して時間を稼いでも、自分が倒れたあとに子供が襲われるかもしれません。信じていたのに守るって言ってくれたのに、と恨まれても無理なものは無理です。出来る限りはするけれどそれ以上は出来ないのだ、という事は判ってもらわねばなりません。こんな事は理不尽だ!という叫びを聞いてあげる、共感して上げる、という事は大事だと思います。でももっと大事なのは世の中は実はそんな不条理に溢れているのだ、という事です。それを十分に理解した上で自分はどうあるべきか、どうありたいか。それを問いかけ、私はこうありたいと思っているというのを伝える。





大人になれば様々なしがらみや生きていく為に方便という嘘を使わねばならない事に直面する、なんて事は往々にしてあります。でも嘘をついても良いという事ではありません。納得いかない事に妥協する事だってしょっちゅうです。翌檜(あすなろ)という木がありますが、これは檜に似ているけど檜ではない木です。明日は檜になろうという名前ですが、理不尽で綺麗事だけでは通らない社会の中に生きていて、それでもこうありたいと思う自分の想いは持ち続ける。そういう姿を見せる事位しか出来る事なんてないと私は思うのです。檜ではないけれど翌檜ではありたい、という事ですね。





そして上記の通りで世の中には残念ながら安全に生きる事を脅かす人や事が沢山ある、だからこそ自分の身を自分で守る、危険を回避する術というのをこういう事件を他山の石として身につけましょう、というしかないのです。誰かが守ってくれる社会体制というのは非常に耳触りは良いですが、だったら電車内で音漏れしているヘッドホンの人を注意したらもしかしたら危ない人で危害を加えられるかもしれないから黙っている、なんて状況でそんな社会は実現出来ません。音漏れ注意されたら注意した人が難癖付けているのだなんて思うのと、自分の置かれた現状が自分を取り巻く周囲のせいだと思って無差別に刺しまくるなんてのは程度の差こそあれ発想は同じです。自我の赴くままというか自己満足の為に他人を害して構わないという事ですから。それをイイコイイコして殺傷事件にさえならなければ良いなんて発想が他人に迷惑かけずに一人で死ねとネット上に書くなとかいう主張です。殺傷事件さえ起きなければ良いんじゃありません、その考えそのものが否定されない社会というのは表っ面を取り繕うだけで中は腐りきった物でしかありません。そんな中で生きていかねばならないのなら、尚更様々な都市サバイバルテクニックを身につけておかないと、どうにもなりません。常に周りにはおかしな人がいるかもしれないと思って行動するしかないって事でしょう。





今回は教頭先生が朝から登校に付き合っていてその目の前で起こっても防げなかった事案なのに、警戒を厳重にするとかこういう事件が起こったからといってやったところで、実際に用意周到に殺傷しようという相手の前では無力です。まさか教頭先生に身を投げ出して生徒を救えとも言えますまい。かといって厚生労働省は精神科入院病棟であっても保険負担を減らす為に病床を減らして地域社会で面倒をみる様に、という指針ですから精神的に不安定で病気であると認定された人間を長期入院させておくというのは表向き不可能です。実際は転院を繰り返して社会に出さないという事は可能ですが、それでも基本的には社会復帰を目指す事になっていますから外出とか近所に買い物にもある程度落ち着いたと判断されれば出ます。ハンニバル・レクター教授の様な監禁はされないのです。そしてそういう人も又紛れもなく人なのです。





我々はそういう世界に生きていて、多くの人はそうではないけれど、中には他人の命や害なんぞ全く意に介さず、それどころか奪う事を喜びとする人もいるのです。だからこそその理不尽な中にあって心を折らずに立つ姿は美しいのだと彼の子供達には伝えたいですね。必要なのは彼等がその理不尽の中で立つ強さを教える事であって、学校に行っている間だけ優しく包んで守ってあげる事ではないのだ、と私は思うのです。成長というのは喜怒哀楽を知る事で己を知り他人を慮れる様になる事で、歳をとるだけでは人は強くなんてならないのだから。





そういう点では亡くなった6年生の子の同級生の修学旅行を中止するそうですが、修学旅行は田植えや魚の摑み取り等の体験学習だそうなので、今だからこそ行くべきだと思います。そういう命の循環、食物連鎖の上に同じ命を食べて我々は生きていて、でも殺して食べて終わりだけじゃなくて育てて収穫する循環も育んでいるのだというのを事件があった分多く感じ取ってこれるでしょう。それによって自己完結出来て癒される子もいるでしょう。





彼等彼女等はこれから長い人生を歩んでいくのですから。


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2019年05月26日

失われゆくもの




この時期の暑さも極まった感がありますが、まさか5月の日本最高気温を北海道で記録するとは・・・北海道に親戚が沢山いるのですが、彼等は30℃で溶けて死ぬと言い出しますから、この時期のこの気温は関東近郊の我々が40℃以上の最高気温の中過ごしているのと同じ感覚でしょう。特に38℃以上を記録した帯広の辺りの人は、体感的には恐らくいきなり赤道直下に叩き込まれたレベルでしょう。





そんな中ですが、いやもう次の土日、6月1日からプレセール期間に突入する、というのを把握している多くのお客様は下見に入らしてもお買物はして頂けず。まぁそりゃそうですよね。お誕生月割引を使っていない方、割引権をお持ちの方以外は1週間程待てば良いのですから。暑いから昼間出歩きたくありませんしね。





さてさて。こういうタイミングじゃないと入荷や消化の情報以外でブログを書く事が出来なさそうなので、今月どうしても書いておきたかった事をここで書かせて頂こうと思います。





今月8日、町田の高原書店が閉店&倒産してしまいました。高原書店はかつて予備校だった4階建ての建物を使い各階各部屋にジャンル分けした古書を並べる、本のリサイクルチェーン(敢えて古本屋とは言いませんw)なんかが出来る遥か前、1970年代から存在している 大規模古書店でした。都内で頭角を現している個性的な古書店の経営者がここの出身者だったり、まほろ駅前多田便利軒の作者である三浦しをん氏もここで働いていたりと、その場限りの上っ面な文学ではなく、様々なジャンルの価値ある本に触れられる希有な場所でした。





勿論神保町の様に古書店が問屋街を成している街もありますが、そこ迄崇高でもなく、ジャンルを絞るのでもなく、程良いカオスな感じとカビ臭い古書の匂いの中、掘り出し物を探して漂う時間、それが失われてしまったのはとても哀しい事です。哀しい事なのですが、哀しい事ですね、で終わりにするならわざわざブログで取り上げる必要もないのです。





5月の3日からブックオフも全ての本を20%オフで、というのをやってましたが。そのあんなのは古書店じゃない、本のリサイクルでしかないというブックオフですら漫画を含む書籍のバリエーションもそもそもの量自体もかなり少なくなっており。電子書籍が結構普及してきていて紙の本を買わない人が多いというのはかなり前から言われている事ではありますが、電子書籍が普及するに伴い本なんて読まない人、この数年で急速に増えていると思えるのです。





だって自分でスマホ使っていて思うのですが、事実私も更新を重ねているTwitterだインスタだLINEだといったSNS、それ等を使いYouTubeを見て、それに若干のニュース等を見ていたらそれで十分時間は使っています。そこにあえてスマホで本を読もうというのはかなりな事で。一度そこから手を離さないんでなければ優先すべきというか、文字からイメージを結ばなければいけない文章よりも映像のニュースや動画、ゲームなんぞを見ていた方が情報は瞬時に像を結びますから、一々文字情報を拾うなんてのは強制力が働かない限り、後回しにする人が多いであろう事は自明の理です。





で、急速に本を読まない人が増えている。ブックオフやそれに似たローカルチェーンなんかも全て苦境に瀕していて、逆に出版社が倒産したり廃番になっていたりで電子書籍はともかく本では手に入らなくなっている物はAmazonなんかでも高値で売られています。それでも全体的な読書人口というのが激減していますから、そうなると古書店という業態自体も成り立たなくなりつつあるのです。小中学生はラノベばかりで古典文学も純文学も読む人は少なく、でもラノベ、一度読んでアニメ化でもしたらもうアニメ見とけば良い的な感じでこれも叩き売られる様ですし、これじゃぁねぇ。





その名作とされていても重版される様なものではない本が高値になる、という事は今後紙の本で文学史に名を残す様な人のマニアックな作品であったり、近代日本文学館がかつて出版していた様な、文豪の発表当時の内外装迄忠実に再現した様な本というのは、アート的な立ち位置になっていく傾向がより顕著になると思われますが、それ以前に電子書籍にはまず立ち読みが出来ないという致命的な欠点があります。





そこ迄大層な本でなくても、古書店で手に取ってみたら中々面白そうだったから買って読んでみた、という事が電子書籍にはまずありません。他所様のレビューなんて私としてはどうでも良くて、自分で読んでこれは買って読もうと思うかどうかが判断基準なのですが、多くの人にとって中身の判らないあまり有名でない人の本なんて電子書籍ではまず売れるはずもなく。それじゃ作家も世に知られる事が出来ませんわな。





高原書店が無くなってしまったのは哀しい事ですが、私としてはあのレベルであっても、いやだからこそなのかもしれませんが事業継続出来ないというのは、私を含め良いよね、と言いながら頻繁に買い物をしない、そういう往年のファンが増えてしまい新規の顧客を獲得するのが年齢層的に難しいというのが理由だとすれば、その責任は存在を知っていて高く評価していた我々にこそある、と思えてしまいます。





ネット上で色々な事をやっていると、全てが繋がっている様な錯覚に囚われますし、事実繋がってはいるのでそれならば良い物であれば維持発展するはずだという、自分は買わないけど誰かは買うだろうみたいなこれまたより重症な錯覚に囚われがちなのですが、自分が買わないと恐らくその店は維持されない、というのを常々肝に命じておかねばならないと思うのです。今都内は勿論ですが、システマチックに儲けを出すビジネスに移行していない個店というのは、かなりジリ貧な状況になってしまっています。私も顧客の皆様と楽しく過ごせればそれで良いと思ってはいますが、自分で書くのもなんですがそれでは常にジリ貧も良いところで、それでもまだ単価はそれなりですし、新しい提案を発信する余地もありますので何とか足掻いてはいますが、古書店というのはそうもいきません。





いやそのブックカフェだとかブックホテルであるとか、そういう新しい業態もあるにはあるんですが、本来の多様性を維持して受け身でしか事業が出来ない業態である古書店というのは今非常に厳しいと思われます。古着と同じで10円で買って100円で売れば10倍儲かるのがリサイクルビジネスで、現に本来の価値を判っている人しか買わない様な本気な古着屋は激減していても、ハードオフだトレジャーファクトリーだビンゴだと、精々がブランドネームで値付けする程度のリサイクルショップはまだ健在です。ブックオフも今後は本だけじゃなく多種多様が物を扱うハードオフに転換されていくんでしょう。でも。それでも。本を読むという文化、装丁等を含む本そのものを愛でる文化というのは古書店無しには成り立ちません。目利きの店主が値付けして新しい古いじゃなく、人気の有る無しじゃなく、初版であるとか復刻であるとか、廃番になっているとかそういう物に対して価値を見出せる事が、本だけ書店の買い取りじゃない返本ありというシステムを成り立たせてきた訳ですし、義務教育で国語という教科が存在し、読解力を要求されるという事でもあった訳です。





便利や安易に流されない、キャッチーな物じゃなく美意識を育てる糧として本を読む、という文化がこれ以上廃れない様、残っている古本屋に足を運んで頂きたいものです。


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2019年05月07日

今日は流石に・・・・




GW明けの今日、まぁ今日はお客様は流石にいらっしゃらないだろうと思っていたのですが、数名いらっしゃり。まったりとお話ししていただけではあるのですが。しっかし酷いもんで仕事帰りにいらっしゃった方に訊いたら今日は都心部等でも全く雨は降っていなかったみたいなんですけど、橋本周辺は11時頃から14時頃迄ダラダラとそこそこな雨が降っており。天気予報的には降ってもにわか雨や短時間の雷雨という感じの予報でしたから、こりゃ増々お客様の足は遠のくなぁ、という事でマッタリ過ごしておりました。





でも不思議なもので、GW最終日の昨日も明けた今日も、ニュースで流れるのは10連休で症状が重篤になった5月病の話。いや一寸待って、10連休が苦痛だとか休みが長かったせいで行きたくなくなるとか、そんな事ばかり報道されていて、学校に行きたくない子供についても何やら腑に落ちない説明がされておりました。





行きたくないと思うのはそれ位追いつめられているという事なんだから、とかいう説明を某教育評論家等がしておりまして。何故そこで追いつめられるんでしょうか。10日間休んでいたんですよね。状況としては休みに入る前と変わらないと思いますし、精神的には10日間人間関係や職場や学校での問題から離れていた訳ですから多少はストレスも薄れていようというもの。そもそも私は結局10日間通常なら定休日にしている木曜日も営業してましたが、報道でのデータを見ると10連休取れていた社会人というのは55%程度。つまり5%程度の差でしかなく、半数近くがなんだかんだで途中出勤したりしていたらしく。という事はなんですか、10連休取れた人は取れた為にストレスを溜め、そこ迄の連休ではなく働いていた人はストレスがそれ程でもない、というおかしな理屈になってしまいます。





例えば学生さんに対して、この場合小・中・高生という事ですが、人間関係等で悩んで学校に行きたくなかったら行かないという選択もあれば良いのだ、とかいう主張。いや別に延々行かないんじゃなく数日行かずに家でゴロゴロしていたりSNSドップリだったらそれで解消される程度の問題ならそれでも良いですけど、それって酒飲んでクダ撒けば憂さが晴れて翌日仕事に行けるだろ、というのと同じレベルの理屈です。それやったら別にバーチャルな世界で無責任な煽りや炎上、そこ迄じゃなくてもストレス発散に好き放題書いたりして発散すれば同じなんちゃうんかいと思ってしまいます。それだと他害があるから一人部屋にでも籠っとけというのをやんわりと説いているに過ぎません。





でもそんなんで根本的な問題は全く解決しておらず。ベクトルは違っているけど手法的にはその場をやり過ごすだけの某北陸県を本拠地とするアイドルグループの問題みたいなのと同じ様なやり方でしかありません。何故行きたくないのかを考えて、休みが長いと働きたくなくなるとか学校行きたくなくなるなんてのは単なる自己欲求の利己的な拡張でしかないという事を自覚出来る様にするのが教育であり、そんな理由で生きるだ死ぬだ仕事辞めるだを思い詰めるのが若さだとか思春期だとかいう肯定のみで、イイコイイコして育てれば良い子になるんです的な事だけを語るのには承服しかねます。





結局のところその風潮がより状況を助長していると思うのは私だけではないはず。勿論原因がどこぞの中学生の自殺の原因であろう部活の顧問の、たかが中学校の部活ごときで死ねだなんだと言われたなんてのは論外ですが、それだってそれを遺書に書いて死ぬ位なら、死ななくてもこれこんな事言われたと親にちゃんと伝えただけでも学校に何やっとんじゃい!と親がねじ込めば、今時それ表沙汰にされたら大問題になるでしょうからそれで片がつきそうなものなのですが。むしろそんな理不尽が理不尽な事に世の中には往々にしてあり、それはこちらが望まないのにやってくる事なのだからそれに対してどう立ち向かうべきか、どう対処するべきか、というのを学ぶ良い機会だと思える様に日頃から親等が接していれば良いと思うのです。本来は教師や学校もそうあるべきなのですが、残念ながら学校でこういう問題が起こるという事はそうではない、という事ですが。





いや休み明け、新作紹介しちゃうのも天候的に微妙だったので、気分的にも偶にはシリアスな話もありかな、という事で。





明日はヘヴィウェイトなTシャツでも紹介させて頂きますね。ではでは。


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2019年03月11日

暖かいんだか寒いんだか・・・・




昼前に雨は上がり。そこから晴れてたは晴れてたんですけどそこ迄暖かくなってたのかなぁ・・・・どうやらこの後は朝晩の冷え込みが真冬並み、0℃になる日もある様で。





今日は東日本大震災の日。9月1日が関東大震災の日で防災の日とされていますが、現代の建築基準を持ってしてもあれ程の被害が出た東日本大震災、あれが人口の少ない東北ではなく首都直下型やもう少し震源が東京に近かったら関東大震災以上の被害になっていたでしょうから、むしろ今日の方が地震災害に対しての認識を新たにするべき日と言えます。





早いものでもう8年。橋本周辺は停電してしまい、復旧は日付が変わる頃でしたから、そこ迄は暖房すら使えず、翌日も横浜線も京王線も動かなかった上に、ガソリンスタンドの備蓄が空になりバスも運休になっていたので完全に陸の孤島となっておりました。





今日はそんな事を思い返しつつ、マッタリのんびり過ごしてしまいましたが、幾つかオーダーをまとめにゃいかんですし個人的に画定申告を済ませていないのでそろそろ行っておかなギリギリだと混むので書かなきゃなんてのもあり、そんな中でそういえば東日本大震災の日なんだよなぁ、とブログの内容がこんな感じに。





復興のあり方や福島原発の廃炉問題と様々な問題がありますが、敢えてそこには触れますまい、歴史と現実と心情というのはなかなか一致しませんし、そんな中でそれぞれの立場で精一杯行動して生きているのですから。





10年20年の範囲で首都直下型が来る可能性がかなりあるなんて警鐘を鳴らされている現在、大きな被害がなかった東京近郊の我々ももしそのような事態になっても冷静に行動出来ると良いですね。





と、震災の日のブログとしてはこんな感じで。





明日は銘作紹介を予定しています、お楽しみに。


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2018年09月09日

何故か凄く静かな一日でした・・・こんな日は!




まぁこういう日もあります、そうしょっちゅうあっては困りますが。最高気温も30℃ぐらいで秋の気配が深まるでもなく、かといって猛暑日が続いていた頃に比べて過ごし易くはあり。でもエアコン無しではいられる程ではないし、出掛けるには良さそうではあるけれど、それでも外歩くには暑いし。なんか家でマッタリして過ごしてしまいそうな一日。





案の定、まぁ外出ても静かだし。今も虫の音が響く以外人の歩く音や話す音も非常階段のところの扉を開けておいても聞こえてこず。プラッと近隣のお客様が立ち寄っていかれて、世間話なんぞをしていたぐらいで、日曜日だというのにとにかく落ち着いてました。それだけに偶には服屋それに関する事に触れない話を書いてみようかと。





なんかなぁ。私の北海道の親戚の状況に先日の北海道の地震の翌日に触れましたが、今日になって札幌の液状化を起こしていた清田区に住んでいる大叔母の近況というのが入り。叔母さんがいうには叔母さんのところはそこから200mぐらい登ったところで全く影響はなかったのだけれど、被害にあったところを映そうとTV局からリポーターやカメラが沢山やってきて、すると今度は札幌とはいえ北海道は田舎なもんで、TVだTVだと近所の人が集まって遠巻きにしていたそうで、その遠巻きにしているのを眺めに私も行ってきた!んだそうで。その辺の道路以外に札幌ではこれといって地震の爪痕を探すのは大変な様で、この辺にこんなに人が来るのも珍しいと言ってました。





とはいえ、厚真では土砂の撤去が進んで死者が40人近くになっており、あと数日は電力供給もカツカツでやっている、という状況では楽しい話題を書くと叩かれるみたいで。長谷川京子さんが友人の誕生会の事をインスタに上げたら不謹慎だとか叩く輩がいて謝って削除とか。あまりそこで断固とした対応を取ってタレントとしてのイメージダウンに繋がるのは避けようという事なんでしょうけど、恐らくそんな事を匿名で書き込む様な輩は、北海道民、もしくは親戚等が北海道にいる人ですらないただ叩きたいだけの人なんじゃなかろうかと私は思うのです。





声高に主張した人の話だけがさも正しい事の様に拡散される。正しいか間違えているのか、そもそもそういう基準で判断する事ですらなく、1億人いれば1億人の違った日常、違った感じ方、喜怒哀楽、悲喜交々、そういった多様性こそが人のあり様なのに。





勿論情報としての正しさであるとか、不法行為やそれでなくともそういう事の温床になる様な思想背景をこれまた露悪趣味としか思えませんが、ネット上に晒す様な人に対するアンチテーゼとして批判を書く、というのはこれとはまた別ですが、じゃあ電気も復旧した今、北海道民は子供の誕生日を昨日今日お祝いしてはいけないのか、という事になりませんかね。酪農や漁業のみならず、私の親戚の勤めている苫小牧と言えばの製紙工場なんかでも本格的に苫東厚真火力発電所が復旧する迄は工場を廻す電力の供給は止められている為に仕事が出来なかったり様々な問題は発生しています。だからといってこっちが凹んでいるからお前らも自重しとけ!という発想はおかしいと私は思います。





だってもう電力さえ復旧したら震源地に近い苫小牧や厚真やむかわとかに行けってんじゃないんですから、函館だって小樽だって旭川だって、来週末には観光に行って楽しんでお金落としてくる事こそが多くの北海道の産業従事者の望みな訳で。そして北海道の食材を食べて農作物も畜産物も海産物も消費してもらわないと彼らは今回の地震のダメージからリカバリー出来ないんですから。





天災は予期せずやってくるし、それに伴う想定外の人災も発生します。でもそこを見ないんじゃなく、見て出来る事はやるけれど、それと個人の日常は区別しておかないと。





なぁんてこの地震に関する話に限定される事ではなく、匿名性を良い事に自分が何をする訳でもないのに自治体の活動を批判したり、関係のないタレントさんのインスタだツィッターだを叩いたり、なんてのは極一部のそういう事する人がいる、というだけの事。でもそれをメディアが取り上げる。その結果同じ様な目に遭うのは嫌だとばかりに他の人も自己防衛の為に差し障りのない事しか書けないなんてのは、結果極一部の無責任で身勝手な人の意向に全体が踊らされるという事になってしまいます。





善意の大多数はそんな書き込みはしないし、多様性を認知しているから余程に人のあり様を逸脱した事でもない限り、関わろうともしません。それでもそういうニュース見たら人のあり様としてその主張の方が正しいのかな、と思ってしまうかもしれません。





あれだけの地震で倒壊家屋が極一部に限られていて、土砂崩れに巻き込まれてしまった方々以外にはほぼ死者が出ないという僥倖を喜んで、後は暫く大変だよね、でも電気の様な大規模インフラについては個人レベルで手助け出来るレベルじゃないし、それも数日の辛抱の様だから、後は精々周りの人に北海道は良い所だから地震ももう収まったみたいだし秋の連休が多い時期、是非遊びに行ってみてね、とアピールするぐらいでしょ、実家が北海道とか北海道出身とかでも。





台風の関西もでしたけど旅行で訪れている方々はそりゃ大変でしょう、自分が行っていてそうなったらそりゃ嫌ですけどね、でもそれもまた旅には可能性として必ず付き纏う事です。絶対に落ちない飛行機はないし台風や地震は日本全国どこでも被害に遭う可能性はあります。日常の中でも絶対に交通事故に遭わないとは言えません。でもそういうのを恐れて旅行を控えるとか、消費マインドが落ち込むなんてのはまさに杞憂という言葉を地で行く話で、そういう時こそポジティブにいくべきだ、と私は思うのです。





以前熊本地震の復興支援でこちらの公務員の方が派遣されて行かれていたのですが、彼は行った先の熊本で仕事をこなしつつ熊本のクロージング系セレクトショップで復興支援の意味を込めてパターンオーダーでジャケットオーダーしてきてました。もしそれを楽しくオーダーしてきました!とどこぞに書き込んだら贅沢で不謹慎だなんてなるかというとそんな事はないですよね。嗜好品である服なんて最も後回しにされるから、そういうお店はとてもしんどかったでしょうに、そこに復興支援でやってきた方がオーダー入れてくれるなんてとても嬉しい話だったと思います。





幸運な事に熊本の様な規模の被害はなかったのですから、上記と被りますが、時間と予算が取れる方は是非北海道に旅行して下さいませw





という事で本日は偶にはね、という多少なりとも関わりのある時事ネタについてでした。明日は何か商品紹介をする予定です、お楽しみに。


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2018年04月16日

世に問題になっている自治会の事




穏やかな一日でしたが。エイヤッとばかりに更に店頭の整理を進めていた、といいますか、ミドルゲージ以上のニット類をストックの一番奥に入れる、という作業の為に店頭に出ていた春夏物の在庫を何とかしまい込みました。それによりハンガーラックの下に在庫も含めて出ていた為に山積みになっていたカバーオールやワークジャケット等が一気にスッキリ致しました。まぁ整理が進めば清々しいですし、いや良かった良かった・・・・





で、この期に先日1回分使って書くつもりだ、と書いておりました土曜日いらしたお客様と心行く迄お話ししておれず、20時きっかりに閉めて出掛けなければならなかった事情について書かせて頂きます。服飾とは全く関係はないのですが、まぁお付き合い頂ければと。





というのもこれ、タイトルの通りで日本全体で社会問題になっている事でもあり。PTAというのについても同じ様な事が言えますが、基本強制力はなくその地域の人や例えば子供が学校に通っている人等、構成メンバーの任意の良識によって成り立っている組織の存続、というのが現代ではとても危うくなってきております。交流する相手は自分で選ぶ、その人間関係だけで十分だ、という人が現在ではとても多くなっています。私はそれはそれで構わないと思いますし、基本的なスタンスとしては私自身もそれで良いと思っております。でも社会のあり様はそうではありません。





私は自分が経営者なので、その点についてお客様を含むずっと多くの方が組織に属して働いていますので、多くの方の方が実感している事だと思いますが、例えば会社に入って同僚は選べませんよね。上司も選べませんし配属等の人事権は会社側にあります。それはもう仕方が無いから仕事のうちと割り切って過ごすけれど、オフになったらそういう煩わしい付き合いはしたくない、という人も多い事でしょう。でもそうなると仕事の上でミスしても情に訴える様なフォローを求めた所で普段の関係性が深まっていなければ難しいでしょう。己のミスでなくとも何か問題が発生した時に誰の責任でもないのに私の責任ではないから関わりたくないと全員が言ったらどうにもなりません。それが人為的なものであれば元凶となった人を吊るし上げる様な事もする人はしますが、地震や津波や台風等の天変地異や、最悪某国からミサイル飛んできましたみたいな時に、自分にだけ都合の良い行動が取れるなら良いですが、何らかの相互協力が必要な場面もあるでしょう。





私事ですが、東日本大震災の時、私は店にいましたが子供がまだ保育園に行っていました。ここ橋本は3線利用駅ですが京王線も横浜線も相模線も止まってしまい、2日間陸の孤島の様になってしまいました。近くなのですぐに私は引き取りにいきましたが、共働きじゃないと保育園には入れませんから、都心部へ仕事に出ている両親が共に着たく手段を喪失した状態にあるご家庭も複数ありました。ここで保育園はじゃぁいつ迄子供を見ていれば良いのか、という事になりますよね。停電していますし保育士さん達にもプライベートがあり、子供のいる方なんかは自分もほんらいなら向かえにいかねばならない立場です。で、何を言っているんだ、給料貰って子供を預かっているんだから緊急時にも園生の対応が優先だろう、というのは簡単です。でもそこに職業倫理だ人道的立場だを持ち込むのは私は間違えていると思っております。規定の20時迄は延長保育で預かる事になっていますから、家庭がないとか残れる人に職務を任せて20時迄は良いでしょう。しかしそれ以降は緊急だからといって両親が向かえに来れない状況であっても雇用契約とか法を盾にするなら、警察にでも預けて自分達が帰宅した所で責める事は出来ないと私は思います。しかしそれでも停電の暗闇の中で電話も繋がらないのに、何人かの園生を何とか親が戻ってくる迄面倒見てくれた保育士さん達に、それが当然とは言えないでしょう。自分ならやらない人がそれを棚に上げて相手にだけやれというのは身勝手な要求ですし。それはお互いの関係性があってこその対処なのです。





で、まぁPTAは置いておいて、今回は自治会の件なのですが。わたくし、困った事に同じ自治会の区域内に自宅と店があるという(汗)


それもあって子供は子供会に入っていますし、私も自治会に入っています。自治会のお祭りの提灯を店名入りでという事もあってお金出していますし、やれ廃品回収だ夏祭りだどんど焼きだという時には出来る限り参加して設営や撤収の手伝いもします。今では少なくなりましたが、それでもかつての自治会長を始め役員の方でお客様もいらっしゃいますし、そういった相互扶助活動は何かあった時の為にも参加しております。しかし、近年はマンション1棟全てが規定の事として自治会費を徴収されているのが面白くないとか、これまた近年の高齢化社会にありがちなオチですがどうせ老い先短いんだから引きこもって暮らしているから必要ないとか、そんな理由で脱会するという事もおきており、昨年の今頃、到頭その流れでわたくしの住んでいるマンションもマンションとしては自治会から脱会する、という事になってしまった話を書いておりました。私は単独で加入し直して入っていますが、この高齢化を理由に脱会するというのは年々目立つ様になっていて、それ故に今回書いている問題が発生してしまいました。





自治会というのは本部があってそこから区に分かれ、その区に更に班がある、という組織です。その班の班長というのが今年回ってくる事になっていたのですが。何をするって自分の班のお宅を廻って町会費を集めて区の会計に渡す、というのだけだったのでまぁ良いや、という事で受けました。これやっておけば今度区長だ区の会計だというのが自分の所属する班に廻ってきた時に、班長やったからという事で免責されるという話でもあったので。そりゃこんなの面倒は面倒ですから、それは正直なところですしだったら楽なのやってお仕舞いにしておこう、と思いますわな。





ところが。自治会長・区長・前班長が3人揃って相談がある、とやってまいりまして。今年の区長と会計を出すはずの班で大量脱会があり、残ったのがなんと3名。3名しかいないのにここから区長と会計を出すのはあまりにしんどい、だって次廻ってきてもどちらかは次も何かの役をやらないといけないって事になるから、だったら我々も抜けたい、と言い出したそうで。で、本来は来年廻ってくるはずだった私の所属する班にとなったのだがこれまた年寄りが多くやってくれそうな人がいない。なので、物は相談だが最悪の場合区長と会計と班長3つ兼任してくれないか、というお話でした。





オイオイオイオイ、最初の話と全然違うじゃないか、とまずそこを班長やっておけば・・・という話を私にした前班長に突っ込んでおきつつ、自治会長に言いました。仕事の内容次第ではやるのが私の許容範囲なら受ける事はやぶさかではないけれど、この3つを兼任する、という前例を作ってしまうのは如何なものか、と。だってこれ、やりたくなければ誰か一人に全てを押し付けても良いのだ、という事になってしまいますよね。やる事自体を検討するのは良いけれど、そこはさぁ、組織で仕事を分担している意味や運営参加者が一定以上いるという民主主義的な組織のあり方という点で宜しくないんじゃないの?と。





そしたら会計だけは誰かにお願いするから区長と班長だけ兼任してくれ、という事に。まぁこれ以上そんな理由で自治会員が減るのも宜しくないし、じゃぁ良いですよ、という事で土曜日に総会と引き継ぎがあったので行く羽目になったのでした。





これがまぁほぼ全て全員賛成で報告も人事も予算も通るのですが、それにしても時間は取られますし、終わったらとっとと帰ってきたけれど、新役員の親睦を、という事でその後に自治会費で親睦会が行われており。そういうのも煩わしいんだろうなぁ、多くの人が。私は仕事がまだ残っているので!と言えますけど、普段付き合いの無い人と、しかも普段ほぼ付き合いの無い顔見知りというだけの年配な方々と要するに飲む事になるのでこれまた苦手な人はいやでしょうねぇ。





てな訳で土曜日はバタバタとしていたんですよ、というお話でした。でも子供会に入っていない世帯がかなり多く、別に子供会行事なんて現代の子供の嗜好とは乖離しているものでもあるので、参加しなくても良いのですが、かといって今の小学生とか子供同士で家に帰ってから集まって遊ぶという事も本当に少ない様で。サッカーとかやっている子供達はそのコミュニティーがありますが、それ以外の多くは基本家でDSかスィッチでゲーム三昧って事に。そうやって大人になるとコミュニケーション能力に著しく欠け、社会性に乏しいままで家庭を持ってしまうと、そりゃPTAなんて要らないとか自治会も入らず近所の人の顔も判らないなんて事になるでしょうよ。本来30代40代とかは違うはずなのにそういう子供の生活を良しとするその世代とその老い先短いから色々と煩わしくて引き蘢る老人が多くを占めてしまっているので、そりゃ地域活動や相互扶助なんて発想はなくなってしまいます。





でもそういう社会はかなり殺伐としているし、その無責任さがネットでの配慮の無い自己拡張による誹謗中傷にも繋がっている気が。誰だって面倒臭いっちゃ面倒臭いんです、金にもならないし本来は興味も無い事。それでも何かあったら助け合うというのは出来た方が良いですし、そのためにはある程度の相互理解はしておいた方が良いのです。日頃やっていない人はいざとなっても出来ませんから。でも役職兼任しないといけないなんてのはかなり末期症状だよなぁ、としみじみ思いましたけど。





今日はこんな感じでしたが、明日は商品紹介をしますのでお楽しみに。では長くお付き合いありがとうございました。


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2018年02月12日

某小学校の標準服とやらから“服育”について思う事




さて。偶にはこういう話を書かせて頂こうかと。日頃店頭で語る事はあっても、自ら発信して服について語る事ってなかなかないので。





そもそもタイムリーな時事ネタで服についての事なんてなかなかないのですが(クールビズ提唱以来じゃないでしょうか)、泰明小学校(タイトルに使うのはどうかと思いましたが文中では名称を出して書きますw)のアルマーニ監修の制服というのが話題になっていますよね。わたくし、恥ずかしながら結構前からそういった言葉を掲げて服装についての教育というのをネットでも展開している団体があるなんて事を知らずにおりました。服育ネットなる物がありまして、ググるとあっさり出てくるのでまぁそれはそれで興味を持たれたら見て頂くとして。





取りあえず泰明小学校の校長先生の主張によると、





・学区外からも通える特認校制度の対象学校であり、より良い環境下での教育を望む家庭の生徒が集まっている公立小学校のはずなのに、通学時における生徒の振る舞いに対して苦情が寄せられる事があり、自分達はそういう小学校の生徒なのだという自覚と誇りを持ってもらう方法はないかと考えた。





・小学校であっても標準服=制服を身に着ける事で、同じ学校の生徒であるという集団への帰属意識や誇りを生み、自分達の立ち居振る舞いについて考えて行動する様になるのではないか。





・銀座という街にある事から銀座ブランドであり、銀座らしさを持つ小学校としての特徴が生まれるという事でアルマーニ社デザインによる標準服への移行を決めた。





・アルマーニ社なのは打診した数社のうちアルマーニ社だけが対応してくれたからであって、国際的なブランドの服を着る事で観光客が多く国際色の強い銀座にある小学校としての国際感覚の情勢に繋がると考えたからだ。





・それは服に対する教育、服育という教育の一環であり、遊びの時に脱ぎ捨てておかないとか、きちんと畳んで椅子に掛けておくとかそういった立ち居振る舞いも身につけられるのでは。





大体こんな感じの趣旨のことを言ってはいたのですが。





わたくし、服を含む様々な身につける物を売る事を生業にしております。皆様にはそのセレクト、そしてそのバックボーンたる私のそれぞれのアイテムに対する考え方に少なからず共感を持って頂いている方がお客様としていらして頂いている、と思っております。いや別に全てにおいてシンクロする必要もなく、私は宗教をやっているんじゃないので信者の様になって欲しいなんてこれっぽっちも思っていません。それでもそれが個々のアイテムに対してでもそれなりに思考プロセスがあって別注するにしろアイテムをセレクトするにしろその結果になっている、という事はご理解頂ける様、接客させて頂いているつもりですし、なるべくこのブログでもそのプロセスを文言にして細かく書いているつもりです。だからこそ今時にあるまじき(字で)黒いブログだなんて揶揄われたりもするのですが、それでもそこは譲れない基本線です。





さて。そんな私からしての話になりますが、食についての教育である食育という言葉はよく使われますが、服育という言葉があるだなんて最初の方に書きましたがわたくし全く認識しておりませんでした。そもそもが。私はその集団への帰属意識を服装によって植え付ける物が制服だ、という発想を教育として行う事自体がファッショというか全体主義的というか、自由民主主義の概念から逸脱している物と考えます。これが英国の大学のクラブ発祥のブレザーであるとか、アイビーリーグに端を発するスタジャンの様に自ら進んで連帯や団結、友情の証しとしてお揃いの服を作るとか、エンブレム等レギュレーションを決めて服装に取り入れる、というのは自然な成り行きとして良いのですが、本来はそうあったはずなんですよね、学校の制服というのも。でもそれは囚人服じゃないんだから、一歩学外に出たらお前らはその服装で何処其処の生徒だと断定出来て、だからこそ不埒な行いをすればすぐにバレるんだからな、という枷の様な物と考えたら何か哀しいですよね、これ。





そして。今の社会の実状とは乖離した事を書く自覚はありますが、それでも書かせて頂くと、例えば通学途中のバスの中で小学生の子供が煩くしている、人にぶつかったり迷惑な行動を取っていたら、それに対して注意して諭すのが乗り合わせた大人のするべき行為なのではなかったのか。クールジャパンも結構ですが本来の日本の精神性というのはそういう相互扶助や社会性を身につけるのに周囲の大人が関係性に関係なく関与してきたはずだと私は思います。それをせずに苦情を学校にぶつける。お前らの教育がなっていないから子供達がなっちゃいない態度で乗り物に乗っているのだと言われたところで、学校にしても何処迄介入出来るのか、という事になりますよね、そりゃ。学校を一歩出たらそこから後は家庭の教育責任だと学校だって言いたいでしょうけど、今時そういう事を言うとそのクレーマーはより激高するだけでしょうが、私がその対応をした学校職員なら申し訳ありません、社会人としての分別の範囲でそういった生徒を見かけたら注意してやってくれませんか、お手数ですがそれもまた子供に対する大人の責任という事で、と言ってやりたくなりますけどね。





で、少なくとも標準服を採用する意義という点ではこの校長先生の主張は判りますが、服育云々と言ってブランドありきではないといいつつ高い監修料をその標準服代に乗せて負担させる意味は全くこの説明からは伝わってきませんでした。高いときちんと扱って、安いと適当に放り出しておく、という発想自体が宜しくなく、それを身につけさせるのに高い制服にすれば家庭でも高いんだから大事に扱いなさいって言うだろうとかそういう発想は教育的にどうかと思うので。それって物を大事にするという発想ではないですよね。高い物だから大事にする、という発想です。





B.A.Tで取り扱っている物、数千円から10万オーバー迄様々です。それはTPOに応じて使う場が違うだろうし、一切の制約無しに最高レベルの技術を用いた妥協のない作り込みと高価な原材料から生み出される素材を組み合わせた服、というのがあったとして、それがリアルな生活環境に全くそぐわない物であればそんな物は無駄でしかない、と思っていますので、それぞれを使う場やシチュエーションを想定して、その中で如何にオリジナリティを主張しつつ、奇抜な事をやってはっちゃけただけにならない、そして大人の分別としてのドレスコードや色彩感覚を反映させた物を提案するか、という事から様々な価格帯になります。そういう場に応じた服装や自分を取り巻く生活環境からどういう服装をしたら良いのか、というのを考えられる様に教育する、というのがもし服育なるものがあるとしたらそれに当たるんじゃなかろうかと私は思うのです。





それは例えば服飾史を紐解いて、だからこそお父さんはお仕事にスーツで行っているんだよ、という事でもあり、何故スーツじゃないといけないのか、という事でもあり、そういった事を判った上で普段自分達が動き易く過ごし易い格好をしている、というのに合点がいく事が大事なんじゃないかと。学校で楽しくみんなで遊ぶ、昼休みに校庭でドッジボールをする、泥警やる、そんな小学生らしさは我々の世代の時代遅れな発想かもしれませんが、そんな時に一々ちょっと待って、制服に埃が、とかいうのなら制服なんて要らないと思うのです。きちんと装う場できちんと装って礼儀正しく振る舞える事と、銀座というのがどんだけ我が国において上等なお土地柄だと思っているのか知りませんが、お高く止まって子供らしさより小賢しく上等な服着ている選民意識を持つ事とはまるで別、というかそんな事をしても身に付かないと思いますね、私は。





いらっしゃっているお客様とは服の話以上に食べ物の話をしている事が多いので、食に対する意識という点では食育、というのは大いに結構な事だと思いますし、同じ様に出来る出来ないは別にして服についての教育、服育というのをする事は私は良いと思いますが、どうもその全体主義的な発想や大人の都合によるところが目立ち、結果として子供が成長して行く過程で正しい服飾文化を身につける事が出来ないな、と容易に想像出来る様なやり方だと今回の泰明小学校の問題は思うのです。だって標準服という名の制服を既にみんな着ているんですから、それをアルマーニ監修にする意味、全くないでしょうに。十分それで問題行動をすれば学校に苦情が来ているんですから用は足りてますよね。





どうせやるならパターンや縫製仕様について、どうしてこうなっているのか、手間がかかる仕様から動き易さが生まれているならそれを教えて、色々端折って廉価で売られている物ときちんと作られた物がどう違うのかを子供のうちから教える、というのとかが良いんじゃないでしょうか。私が子供の頃であっても食育という点では、合成着色料や合成甘味料や亜硝酸塩といったものに様々な遺伝子異常や発ガン性が疑われているけれど実証出来ていないから使われてしまっている、という問題点等を指摘されたものでした。でもそれ、駄菓子屋で売ってるんですよねぇww


そしてそういった物、子供は欲しいんですよ、どうにも。今考えたら子供騙しなんですが、それでも当時はそういった物を楽しんでいました。現代では食の安全性について基準が厳しくなっているのでそういった問題は解消されていますが、服というのは困った事にそれによって人体に影響が出る様な問題は起こり難いんですよねぇ。だから食程重視されない。でもどうせ教えるならそういった事について教えてあげて、更に自国の産業としての縫製業の実状、その衰退とファストファッションの台頭がどう関係しているのか、とかそういった事を良し悪しとは別に客観的に情報を伝えて考えさせる事は大事だと思いますね。





少なくともそういった事こそが服育だとすると、どうやっても上っ面のプライドというか、虚栄心というのを子供に植え付ける結果にしかならないんじゃないかと思うのです、アルマーニ監修の標準服とやら。これが私立の学校というのならそういった教育方針で西洋の貴族を彷彿とさせる教育をしても良いんでしょうけどね、妙な国粋思想の下に学校を作ろうとした森友学園に首相も首相夫人も少なくともその理念には賛同していた、という恥ずかしい事例もある事ですし。でもこれ、公立小学校ですからねぇ。それが銀座にあるってだけで校長の裁量でこんな事になり、それはまだしもそれを服育だなんて主張されたらちょっとそれはどうかと思っちゃいます。





例えば今でも鉄沈の泥の手染めの糸を手で紡いで手織りする大島紬が高価なのと、アルマーニ監修だから高いのとでは全く意味が違いますし、東京都でやるなら標準のハンカチでも指定してそれは黄八丈で作って制服の胸ポケットに差して登校してくるとか、そういうのなら意味あるでしょうけど、少なくとも子供はこれアルマーニ監修だから、なんてのを大事にする理由や良いものだという理由として理解出来ないし、もしそういう理由で上等なんだと教え込んだら碌な価値観の大人にならんと思うのです。高い金出してそんな残念な価値観に育てるのは私なら勿体なくて嫌ですね。まぁ嫌なら来るな、という事なんでしょうけどね、その特認校制度というのは。





何れにしろ、私としては店頭で心掛けている事の1つが、その言葉で考えた事はありませんでしたがまさにその服育というのをお客様が楽しく興味を持って意識せずにして頂ける、という様にしよう、という事です。お仕着せがましくなく、より世界が広がって多様性の中に本質に根ざした価値観を形成する一助になれば、と思いつつ過ごしております。そして我が国において服についてまともに知識がある人というのはとても少ないと思われます。どうしても衣食住と最初に衣があるにも拘らず、必要度は最後ですから。でもそれはその3つの中で最も文化的な側面が大きいとも言えます。そういう事をきちんと考えて教育をしていって欲しいものですね、小学校。





という事で本日は時事ネタで服についての考察を書いてみました。長らくお付き合いありがとうございます、明日は何か銘作紹介でも、と思っておりますのでお楽しみに。


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2017年12月31日

皆様、良いお年を!

いやぁ、なんだかんだでこんな時間ですが。


本年も皆様に並々ならぬお世話になりました。特にこの秋冬は、インポートを中心に著しい納期の遅れやアクシデントが相次ぎ、ご迷惑をおかけしました。





思い返せば、本年はネットとリアル店舗との比率が世間一般では顕著に変わったのが実感出来る年だったのではないでしょうか。





しかしB.A.Tではネットの使い方が他とは異なっていると思っています。ネットで売るのではなく実店舗への誘導に使っているので。





来年どうなるのか判りませんが、来年も変わらないご愛顧をお願い致します。





では来年が皆様にとって良い年であります様に。





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