2013年08月18日

お盆休みは終わりだというのに

気象予報士がTVで言うにはこれが暑さの折り返し地点出そうな。つまり暑いとされる気温が7月頭からお盆迄で1ヶ月半過ぎたという事は、最低9月いっぱいは30℃切らないって事。いやはやこれは服を売る身としては堪りません。何しろお盆が明けたら秋物の投入が本格化してきます。9月後半にはジャケットやコートを中心としたロイヤルヘム等インポートの新規取扱いブランドも投入されますし。





はてさて、お盆に合わせた訳じゃないでしょうに、8月15日が終戦記念日という名の無条件降伏をした日。そのあたりから何故か高まる無条件降伏に至る事実を歪曲して現在の日本人としての自尊心を取り戻すのではなく糊塗しようというみっともない言動が目につきます。





何故か松江市で小学校にある“はだしのゲン”の閲覧を制限している事が発覚し、それに対して批判が集まると、本質を無視した論理を展開する低俗な輩が横行してまいります。描写の真否や戦争責任が天皇にあると書いてあるから左翼思想の漫画だ、だの逆に右傾化しようとする日本政府が何らかの圧力をかけたんじゃないかだの、まぁくだらないったらありゃしない。





松江市の発表によると、凄惨な原爆の実態や戦後の薬物汚染や喫煙、犯罪行為や性風俗の描写が小学生の精神に悪影響を及ぼす事を懸念してだ、と言っております。ならば全く先に書いた自称右側だったり左側だったりという方々は論点のズレた争いをしている事に。この問題を傀儡にしてお互いの主張をぶつけているに過ぎません。





こういってはなんですが、戦争をしたいとは全く思いませんが、平気で侵略をしようという隣国に対して何の抑止力も持たないというのはお粗末な話です。これは国家としての成立要素にも関わる事なので、その為の憲法改正を議論するのは吝かではありません。が、右寄りだとされている人達の中でも多くの不勉強な方々は、民族差別的な発言をして過激に排斥しようと唱える事しかしていない。誤解を恐れず書きますが、教育の普及を考えると韓国と中国には大きな隔たりがあり、韓国政府はその歴史における日本の支配に対して抱くコンプレックスと書くには生易しい怨嗟を教育を通じて次世代にも伝え、それを克服するには日本に対して強権的な態度に出て屈服させるのが良いと考えている節があります。逆に中国は政治体勢の矛盾やその政治体勢が産み出した汚職や腐敗、本来の共産主義・社会主義では生まれるはずの無い貧富の格差に対する国民の不満を逸らすスケープゴート的な目的に教育と反日行動を使うという民度の低い事をしております。





中国にも韓国にも日本にも、くだらないヤツは沢山いるし話の通じる人もいます。尊敬出来る人もいれば相手にしたくない人もいます。ただ面白い事に、これといった国内の情報操作を少なくとも韓国と中国に関してはしていないので、相手国の態度というものがそのまま民族への評価になってしまいます。それだけ根拠の無いこじつけの主張で国家が島の領有権を主張している中、マナーを知らない中国人観光客が目につけば、これだから中国人はとなりますし、偽物だろうがお構い無しの姿勢にはこれだから中国人や韓国人はとなります。そして日本国内で大した知識も無く真面目に歴史を学ぶ事もせず、それでいて犬の様に民族間で順位付をして優越感に浸りたい駄目な日本人は、その理由から韓国人の排斥デモを行ってみたりするのです。どいつもこいつも・・・・





そもそも太平洋戦争の戦争責任が昭和天皇にあるのは紛れも無い事実です。軍部が暴走しようとなんだろうと、それを理由にするのなら国家元首たる資格はありません。そもそも渡来人系の大和朝廷の末裔だというだけで出雲の国譲り以降急速に抑圧され、坂上田村麻呂の蝦夷地平定に代表される様に、己の正当性を主張する為に本来の日本人の民族浄化を図ろうという姿勢を糊塗しても事実は動きません。その方針と中国の対外政策は全く同じです。天皇は仕方がなく軍部に祭り上げられていただけだという主張が通るなら、日本人は皆間違った情報に踊らされ軍部に騙されて戦わされていただけだ、という逃げ口上が言える事になってしまいます。別に主張するのは勝手ですけど、他所の国では何処もそれを支持しません。北朝鮮の主張みたいなものですね。他所様の恥ずかしい振りを見て我が振りを直す、他山の石にしたいものですが。





少なくとも武士道であるとか葉隠の精神であるとか、そういうものと大多数の日本の軍人の姿勢は大変な隔たりがあって、国に殉じて死んでいったと言いますけど、そんな事望んでやった訳じゃない人の方が多いのです。竹槍で銃に立ち向かえという訓練をやらせる様な愚鈍で狂信的な思想は、投降するなら自決しろというのと同じです。そんな死に方ははっきりいって無駄死にです。その無駄死にを強制しておいて今更神社に祀られても嬉しくもなんともないでしょうよ。そんな国を死して尚守るなんて私ならまっぴらごめんですね。むしろその愚かで世に害悪にしかならない自己中心的な思想を今に受け継ぐ政治家共を呪ってやりたくなりますよ。





元々機械系だったので当時の我が国の戦闘機や戦艦のみならず、当時のドイツから現在の各国主要兵器に至る迄、方向性はともかく文明の粋を極めた技術を注ぎ込んだものが兵器なので一通り知識があります。その上で特攻とか発案する上層部では阿呆は負けて当然なのです。特攻隊で死んだ方々を英霊として祀るのは良いですけど、彼等は無駄に命を捨てさせられたのです。捨てる事で戦局が打開出来るのであれば無駄死にじゃないですけど、どうやっても無理なのに1億火の玉とか言っちゃう狂人に命令されて突っ込まされてるんですから。しかも殆ど命中しないという。変な喩えですけどアルマゲドンの様に、1人残って地球が救えるのであれば喜んで残ろうという方はまさに英雄だと思いますが、特攻しても進路すら変わらない彗星にただ闇雲に突撃するのは無駄死にです。





国の為、と言えば聞こえは良いですけど、そんな理屈が通るんであればアウシュビッツで虐殺をしまくったナチ戦犯だってお国の為だと言えなくもないですよね。狂信的思想の指導者の下ですけど彼が主張する大ドイツ民族の為だと信じていたんです、と言えば。





日本のやり方だと、その戦犯も一緒に祀ってしまい、我が国には死ねば皆仏になるという思想があります、等と政教分離を謳っているくせに言ってしまうのですから、外国からは誰にも理解されないでしょうね。オタク文化を世界に広めるクールジャパンと対極に位置するもう1つの日本は恐ろしい、という事になります。





自国を守る為に戦う事が出来る様に憲法を改正しようという論理と先の戦争で日本が虐殺を行っていなかったとか思考統制の為の検閲や情報操作をしていなかったかの様な主張とは全く別。非道な事もやりました、だからごめんなさい、その分は東京裁判で裁かれ、戦後補償も締結した条約に沿って行いました、なので当時の事を持ち出して後出しで利権のありそうな島を横取りしようというのは戦勝国だろうと未知の国だろうと関係なく断固戦います、と言える様になれば良いのですが、その為にはかつての日本軍は民度の低い思想の下民間人を弾圧した歴史があり、それを統帥していたのは天皇で、彼に責任があったが自ら認め謝罪し象徴という立場になったのだからもう今更責任を蒸し返す様な事はせず、その精神の精神性を世界中から賞賛される様な日本になれば良いと思わずにはいられません。





汚い物を見せなければ綺麗な心でいられる、という思想が私は嫌です。それではパンが無ければブリオッシュを食べれば良いのにと言った王妃と同じです。己のルーツにも繋がる自国の歴史、世界の行く末を左右する大量破壊兵器、そういう物に対する知識が無いのに平和を語る事は出来ません。語れますけどそんな平和はとても薄っぺらく守る事すら出来ません。権利の上に眠る者、という名言を記した我が国の社会学者がいましたが、まさにそういう輩です。だから松江市の小学校の考え方には私は納得出来ません。笑い話ですけど弁解で一部の関係者が“小学校では禁止してますが市立図書館では読めます”と訳の判らない事を言っていたのは自分の主張にすら責任と意思を持たない姿が伺えて笑えます。そんな程度の覚悟で偉そうに子供とはいえ他人様の選択の自由を制限するなんて愚かにも程があります。





ちなみにうちの子供には小学校の児童クラブに漫画が置かれていて読んだ話をしていたので、丁度GyaO!で無料配信されていたアニメ版(なんでも漫画以上に描写がリアルだから暗黙の了解としてTV放送禁止だそうなw)を見せておきました。冷や汗をかきながら見ていましたが、あんな兵器を使うなんて絶対にいけないよね、と言ってきたのを聞いて、見せる事は悪い事ではないと改めて思いました。その後のカッパライや悪事に手を染めないと生き抜く事が出来ない子供の姿を見て、当時の厳しさを改めて知り、自分は恵まれていてその生活を守っていく為にも戦争はいけないんだ、と思った様です。あれを見て子供が薬物に手を出したり犯罪を犯したりするのが格好良いとか自分もやろうなんて思う事を危惧するのは自分達の教育の意義を否定する様なものです。





右だ左だ民族主義的発想だなんてどうでもいいですけど、臭いものに蓋をして見せないという教育は間違えているとだけは言えますね。最後になりますが、中学時代の思い出を。中学校の教員資料室には授業では使われませんが実際に起こった事実を説明する為の資料が大量に転がっておりました。時々コッソリ入り込んではその資料を読み漁っていましたが、その中に早乙女勝元氏監修の東京大空襲の資料写真集や、広島長崎の原爆写真集が何冊もありました。今から25年以上前の事ですが、詳細に大量の写真が集めてあり、その悲惨さと凄まじさを衝撃と共に認識したものです。それで良いと私は思います。


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2013年07月30日

ぬかった・・・2日空けてすいません

本日オーダーの締め切りなところがあり、ウンウン言いながらオーダー絞って・・・というのをやっていたらこの有様です。綿麻のジャケットは良いとして、ブルゾンでリネンてどうなのよ、なんてあーでもないこーでもないとやっていた結果です。やれやれ。





本当は商品紹介を進めるべきなんですけど、勿体ぶって前回書いた円安の影響というのを1つ講釈たれておこうかと。日本の繊維産業、ひいてはアパレル全体において国内産業とは言い難い現状にある繊維産業。特に量販メーカーは国内生産なんてそもそも眼中にないのです。イヤなかったと書くべきでしょうか。





こんな裏話的な事を表に晒して良いのか、という思いは私自身なきにしもあらずですが、その経緯が色々と考えさせられてしまう事を含め、いろんな意味で面白かったので書いていまいます。





B.A.Tで取扱うアイテムの中で、数少ない、というか現在唯一のメイドインチャイナなもの、それがオーバーザストライプスとディッキーズのコラボシリーズです。何処で生産しているかはさておき、大量生産しておいて偉そうに無駄金使ってロケして宣伝とかしてありもしないイメージをあるかの様に錯覚させて物を売ろうという輩には呆れますが、ワークウェアの味というのはその大量生産によって培われたものだともいえます。なのでジーンズとかワークウェアに関しては、大量生産だから駄目、とは思いません。ただそんじょそこらに転がっているものは自分では取扱いませんよ、というだけで。





さてそのディッキーズ、シルエットから細かい仕様に至る迄オーバーザストライプス側が色々と弄くって作ったコラボラインに関して、果たしてディッキーズである必要性があるのか、と思わなくはないのですが、他には絶対にない大規模ワークブランドとのコラボアイテム、という面白さは1つの切り口としてありだと思ってやっていました。そこにアベノミクスなる経済施策が行われました。そして円安に振った結果、現在中国での生産というのがディッキーズにとって国内定価を変えない限りしんどくなってしまっているのです。





勿論定番モデルに関しては生産量が膨大ですからある程度飲んではいますが、こういった少量生産なコラボラインに関しては中国生産するとコスト的に合わない。これはアベノミクスのみならず、経済成長を続けてきた中国の人件費が、少なくとも船で輸送するべく港湾地区への流通が整備されている地域においてはどんどん上がっている事とも関係しております。これが電気製品等技術力に差が出る物が対象でしたら、人件費が上がっても日本の様に米国にはない技術を開発して安い人件費の労働力だけ搾取される敗戦国から技術立国へと舵を切る事も出来るんでしょうけど、中国にはその技術力はない。真似して安く作って、というのしか今のところ取り柄がない。でも人件費は既に輸送コストや関税を考えたらメリットがないぐらいになってきていると来たもんだ。少なくとも円安に振れたらそうなってしまった、というべきでしょう。





さて、アベノミクスの功罪の罪の方としてはこうやって海外からの輸入コストが上がっている、という事になります。がしかし。前述の通り特化した技術が必要ではない大量生産な縫製業に関しては、コストが同じもしくは安いくらいなら日本で作ろうという事になります。勿論これまた先程書きましたが大量に生産する事でその人件費の上昇を抑えて生産出来る定番モデルでしたらそのまま中国で作れば良いんですが、少なくともオーバーザストライプスのコラボラインは無理だった様です。





なのでこれ、アベノミクスの功の部分として、日本で作った方が安くつくという判断から、なんとこの秋冬に展開するオーバーザストライプスとディッキーズのコラボ、全てメイドインジャパンになるそうなんです。そう、定価を上げても売れる物であれば若干の上昇でしたら国産にすれば良いのです。これにより日本の縫製業にもチャンスが生まれます。これは縫製業に限った事ではなく国内で製造する半導体や世界に流通している物品に関しては同じ事が言えます。





と、その大きな流れは置いておいて、そういう訳でオーバーザストライプスとディッキーズのコラボ、秋冬物はお値段変わらず国産になっております。これとてもお得だと思います。何故なら次回、来年の春夏の分を展示会で拝見してきましたが、16,000円だった物が25,000円になっておりました。そうなんです、いくら中国生産だとコストが合わないとなっても日本で作って普通に値付けしたらそんな感じになっちゃうんです。イヤ流石にポルトガル生産のベルナールザンスのパンツより国産のディッキーズの方が高いとなるとそうそう売れるだろうという楽観視は出来ませんよねぇ・・・・





なので来期の取扱いは慎重に検討していますが、差し当たってのこの秋冬の分に関してはこれ買っておいた方が良いんじゃ?と自分でも思うぐらいです。





こんな感じで経済規模が大きくなってもこの時代に領土を広げようという前時代的なオツムのトップが率いる中国製が減っていく事は確かですし、より人件費が安く外交政策が安定していて人当たりのいい他のアジア諸国に仕事は流れていってしまうんだろうなぁ、と思わずにはいられません。まぁでも良かった良かった、ネタが面白いから取っていたけどポリシーに触れるところがあってモヤモヤしてたんで、中国製。これでおさらば出来るというものですww


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2013年07月07日

敢えて言おう!ボロ儲けであると!!

タスティングが売れております。ついでにトリッカーズを夏のセール分で買おうという方が結構いらっしゃいます。また、冬物のダウンやブルゾンなんてこの東京近郊で猛暑日になろうかという気温の下見たくなんてないと思うのが普通でしょうに、何故か先取りして在庫の中から買い逃している分を秋の立ち上がり用にと買っている方もいらっしゃいます。まぁB.A.Tの条件でセールするとそういう方もいらっしゃいますわな。でもまぁ今日はちょっと目先を替えて久々に食い物のお話を。





何事もそうであるが、検証せずに批評をするだけの輩は世に五万といる。例えば学歴なんて社会に出たら役に立たない、と言っているのが小中高とトップクラスの成績で大学も難関上位校出身であれば説得力もあるだろうが、それ以下の人が同じ台詞を吐いても説得力の欠片もない。あくまで通論であって実体験ではないから。学力なんて・・・を例に取ると、その程度の学歴が通用しなかった、という事になる。又学歴は通用しなくても学力が通用しない訳ではない。勿論誰かが証明しているものをあたかも自分の体験の様に話す事は出来る。又一般論を組み合わせて然も自らの分析力の成果である様に語る事も。でも所詮それは机上の空論であって、その根拠となるデータ以外の要因が加わった途端に何も出来なくなる。そんな表っ面の理屈に興味はない。


欲しいのは確かな検証の下に論理的に解明された評価と、そこから得られる満足度への飽くなき探求である、と私は思うのだ。





なぁんて堅くシリアスに書いてみましたが、これが昨日1日限定で発売されたマクドナルドのクォーターパウンダーゴールドリングなる物の話に繋がるとは誰も思いますまい。まず正直に書きまして、味云々ではなくビジネスとして非常にボロい商売であると検証する前から思っておりました。何しろそもそもクォーターパウンダーで360円。ダブルクォーターパウンダーで490円という事はクォーターパウンダー用パティ1枚が130円。バンズを替え、厚切りベーコンを2枚とパイナップルを1枚挟んだだけで360円が1,000円になる、という。ソースに10種類以上のスパイスを使い、等と謳っておりますが、だからなんだ、という。じゃぁお宅のナゲットのバーベキューソースは一体何種類のスパイスを使っているのか、又量が同じなのにスパイスを10種類以上使ったらコストがそんなに上がってしまうのであれば、一体それはどんな高価なスパイスが使われているのか。言い出したらキリがありません。





ちなみにマクドナルド側の書いているオフィシャルな説明文によると(以下説明文抜粋です)、





厚切りベーコンとパイナップルの運命的な出会い。


 ゴールドに輝くパイナップルとドイツ国家認定の食肉加工マイスターが監修したスモーキー


な厚切りベーコンが2枚,1/4パウンドのビーフパティとなめらかな食感のモントレージャックチーズ


を、サクッとした食感のカイザーパンでサウンド。10種類以上のスパイスで仕上げたコク深い特製


BBQソースとパイナップルのさわやかな甘みをご堪能ください。





<カイザーゼンメル>


一つひとつ丁寧に手で型押しした美しいフォルムの王冠のデザイン、プチプチした楽しい食感


と焼き上がりの香ばしい香りのポピーシードをトッピングした、ジュエリーの名にふさわしい豪華


な特製バンズです。ビーフパティをはじめ、柔らかいパイナップル、噛みごたえのある厚切り


ベーコンなど食感の異なるそれぞれの具材しっかり引き立てるため、ライ麦粉を使用した水分


の少ない生地でサクッと噛み切りやすいバンズに仕上げました。





<パイナップル>


酸味を抑えた豊かな甘みが特徴のパイナップルで、ジューシーなビーフパティと厚切りベーコンの塩気に負けないアクセントに仕上げるために、厚みにこだわりました。厚さ1.5cmのパイナップルを店舗でグリル調理して仕上げるため、さわやかな果汁がひろがり肉汁と混ざることで絶妙な味わいをお楽しみいただけます。





<厚切りベーコン>


ベーコンならではのカリッとした食感にジュワーっとあふれる肉汁をしっかり感じていただけるように、厚み9mmのリッチなベーコンを挟みました。ドイツでは国家資格でもある食肉マイスターの資格を持った職人が監修したこだわりの味が食欲をそそります。香りを決めるスモークチップ(ナラ、ブナ、カシ等)の配合にこだわり、ハンバーガーに合うようにじっくり強めにスモークしました。また、パイナップルの甘さとの相性にもこだわった味付けをおこないました。





<フルーティーBBQソース>


パイン果汁とアップルピューレを隠し味にしたフルーティーなバーべキューソースです。


クミン、チリパウダー、レッドペッパーなど10種類以上の香辛料をバランスよく配合し、隠し味


に醤油の風味を足すことで香ばしさを加えました。





<モントレージャックチーズ>


ハンバーガーの本場アメリカでもっともポピュラーなチーズです。ほのかなミルク風味となめらかな


質感が特長のナチュラルチーズです。チーズ自体にクセがないので、パイナップルの甘味、ベーコン


のスモーキーな塩味、ジューシーなビーフパティをまろやかに一つにまとめています。





<ビーフパティ>


マクドナルド自慢のオーストラリア・ニュージーランド産のビーフを100%使用した1/4パウンドパティ。


ジューシーなビーフの旨みを存分にお楽しみいただけます。





だそうです。





先に1つ1つ検証しておきますが、30万個分も焼いておいて、じゃぁこのカイザーバンズなるパンは普段のクォーターパウンダーやビッグアメリカシリーズに比べてそんなにも高コストなパンなのか。少なくとも倍する訳ではありますまい。





パイナップルは生なのでしたら食べてみないと判らないので置いておいて、ベーコンですがこれがとても文面からしてクセモノ。1つに2枚ですから60万枚分も製造しておいて、製造コストが普段使っているベーコンとどれぐらい違うのか。コストが同じで普段のが1mmだとすると、9mm×2の18mm分だと実質18倍ですけどもしかしてそれがこの価格の原因か?


しかしそんな事言ったらイタリアン系のファミレスのミックスグリルのベーコンだってそれなりな厚さですよ??


そしてとてもやらしい書き方が気に喰いません。ドイツでは〜の件。彼が全て作ったというのなら兎も角としてレシピ化してマックの自社工場のラインに乗せた時点でファストフードのコストでしかないのに何をこんな事で箔を付けようとしているんだか・・・・





バーベキューソースについては前述の通り、またモントレージャックチーズと仰々しく銘打ってますけど、自分で書いている通り最もメジャーなチーズ。コストも推して知るべきです。





そしてパティ(ハンバーグ)はハイ130円ね。





さて、ここ迄は文字情報から拾える推論です。ただこの時点で少なくとも普通のクォーターパウンダーやレギュラーメニューのコスト計算からしたらどうやっても1,000円にはならないのがお判り頂けたはず。勝手な計算ですが下の360円をベースに我々が手に入れた場合のコストを弾くとパイナップル30円、ベーコン100円、パンの上乗せ20円ぐらいでしょうかね。ソースはまぁ+10円としておきましょうか。あくまでこれ勝手な計算ですけど。つまり160円のコストで1000ー360=640円の価格を出すのですが、おそらく自社工場で一貫して30万個分作ればかなりの低コストになるでしょうからおそらくそれ程無理矢理な推論ではないでしょう。むしろこれ以下のコストと考えた方が正しいでしょうね。そうすると一般的な飲食店の原価計算として25%程度というのは余裕でクリアしています。もっと儲かっていると思うのが大勢を占める意見でしょう。





ここ迄やってから実際に物を買って検証してみよう、という事に。なんて面倒臭い奴なんだ、素直に美味いか不味いかとかで判断するんで良いじゃないか!とお思いでしょうが、360円にパティを1枚加えるよりも遥かに高額な1,000円という価格をこういっては何ですがファストフードの最右翼であるマクドナルドの単品に出せというのは如何なものか、と思った事が今回のブログの話になっているのでご勘弁下さい。そして実際検証してみました。そう、これが最初の方の検証なくして批評無し、というところに繋がるんですねww


私が駅前のサティ内にあるマックに行ったのが10時半過ぎ。店の開店前に済ませておこうと。ちなみに全く並んでおらず。何人か注文をしていて7食目でした。その先に買っている人達を見て既にかなりゲンナリしておりました。カウンターの脇に無駄に木の長椅子があり、その上に安っぽいワインレッドのサテンの生地が掛けられていて、その背もたれ部分に紙で作った“クォーターパウンダージュエリー”のロゴが。そちらに座ってお待ち下さいと言われてましたけどね。イヤこの安っぽさがとてもじゃないけどやってられない。1,000円だから豪華さでも演出しようとしたのでしょうけどこの安っぽさと取って付けた具合、もう既に止めようかと思ってしまいました。そして先に買った人のを見て更にビックリ。当然これコストに入ってるんだよね・・・・止めてくんないかな・・・と思いながらなんとか我慢して買って店に戻り撮影致しました。


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この3週間の為90万個分作られたであろう専用の通常のリサイクルペーパーではない紙袋。更にこの過剰なパッケージング。何ですか?安っぽい椅子に座らされてこんなラッピングのパッケージを貰ってそれで“やったぞ!1,000円もする豪華なハンバーガーかって食べてるオレ(私)って凄ぇ!!”なんて思うと思っているんでしょうか。いやいや、ヒネた私だからこんなこと書いているだけで、大多数はこれに騙されるんでしょうか。そうじゃないと思いたい。
第一これ袋とパッケージだけでいくら沢山作ったとしても100円ぐらい使われてます。じゃぁこれ無しで900円にしろよ、と言いたいです。いや、まさかとは思いますけど袋分もコストで乗せてるんじゃなくて売り物として原価計算する中に含まれてるんじゃないだろうな、と不安になりました。そして肝心の中身です。


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イヤ開けてビックリ玉手箱、というヤツですね、これ。単なる箱じゃなくて填める箱になってます。そして底には無駄にプラスチックの単色ではなく縁が銀色で中が白の彫りの入った台が置かれ、その上にハンバーガーが鎮座ましましております。これ又コストがかかってます。ふう、これで漸くハンバーガーについての検証に入れます。





元々私はファストフードについて批判的ではありません。美味しい物をレシピ化し、大量生産でオリジナルの美味しさに極力近い物を格安且つスピーディに提供する、という考え方自体は、私の理想とする食べ物屋のあり方とは対極にありますが、不味い物をコスト計算だけで平然と出している場末の飲食店に比べれば遥かにマシです。マシと言うかむしろ便利でストレスなく使えて良いです。つまり早い美味い(許容ライン以上という意味で)安いというのを評価しております。ラーメン屋とかで選ぶ余地なく入って王将以下の味なのに最低でも700円とかしてると腹立たしくって堪りません。損した気分と不味かった事への不満とで大変ストレスを感じます。





それに比べればマクドナルド、好んで使うことはありませんが、少なくとも作り立ての状態ならそれなりに不満なく食べられます。しかしこのクォーターパウンダーゴールドリング、それとは全く別物です。何しろ1,000円。1,000円あったらかなり美味しい物が食べられます。ちなみに食べた結論からいうと、不味くはありません。というかそれなりに美味しいです。ベーコンも食べ応えありますしパイナップルも良いアクセントです。バーベキューソースも本格的ですし。ただパイナップルは焼いた後の厚さ表記をするべきです。焼く前1.5cmだったとしても焼いた後は半分の7mm程度です。これは看板に偽りありです。パンも食べ易いですね。でもマクドナルドはこれを600円で出せるはずです。余計なデコレーション無しで、下がった売上げを一気に取り返そうとせず本来のコストパフォーマンスを重視する客の訴求を理解すればです。





でもこれ1,000円。30万個作っておいて1,000円。そして無駄な装飾や演出を含めた1,000円。コストパフォーマンスが1,000円を上回っていれば文句はないのですが、これは話題性と演出で1,000円取れるんじゃないか、という実験的試み。ならば敢えて言おう。あなた方のやった事はインフレ方向に経済を向けようとするアベノミクスを後ろ盾にしたボロ儲けの試みであると。しかし庶民の店であるマクドナルドで食事をしようという人はおそらく普段1,000円出しますまい。初めての試みだから試しに出してみた、という人で3回ならなんとか廻るでしょうけど、少なくとも私は1度食べたら又1,000円出してマクドナルドで食べたい、という物ではありませんでした。





元の360円のクォーターパウンダーをベースにするのであればせいぜい600円迄、もし1,000円ラインをやりたいのなら別業態でやるべきなのです。ユニ○ロが10,000円のジーンズを売る様な物です、別ラインを作って展開すれば良いのであって、それですら差別化は難しくて結局分けたはずがグダグダになってしまうのがオチなんですけどね。これは味の良し悪しとは別問題。





何でも安ければ良いとは思いません、むしろ適正価格であるべきだと思いますが、元々安くてそれなりな味、というのを評価されているのに方向性に行き詰まったからといって巨大企業がボロく儲けようとする試みは頂けません。検証の為に出したくないのに食費を割きましたが(じゃぁやるなよ、って話ですがねw)やはり望んで1,000円払って食べるべき物ではない、という事を実感致しました。タイトルがあれなんでこういうものに踊らされてはいかんという意味を込めてこれで締めさせて頂きます。





“明日の未来の為に我が日本国国民は起たねばならないのである!”





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2013年06月10日

主に哭いてます・・・・

今回はちょっと悲しいお話です。今回はというか、最近こういう話が自らにもまた取引のある方々にも降り掛かって来る間隔が短くなっていて、それがアベノミクスなる経済施策とあいまって、日本人の精神性が荒廃していっている証の様でとても嫌なのです。





エトスクラブのパターンオーダーのうち、一番手軽に出来ていた29,400円のラインが廃止になりました。廃止というのは差し障りのない書き方で、お客様には受けていた工場が倒産した為、と説明しておりましたが事実は少々違っております。元々都内の工場で生産しておりましたが、ここは確かに潰れてしまいました。でもそれはもう3年ぐらい前の話。そこから茨城にあるグッドイヤーウェルトの生産設備を持つ工場が倒産したのを居抜きで買い取った方がいて、そこにそのまま木型や抜き型等を廻して途切れずにシステムを維持してきておりました。





その茨城の工場は大口の仕事は一時良くてもコンスタントに入って来ないと結局はまた倒産してしまうから、1足1足で生産するのは手間がかかって効率が悪くてもそれをやった方が月々は安定すると考えた様でパターンオーダーに取り組んで来ました。でもまぁガツンと儲からないのと面倒臭いのは事実。それでも景気や人気に左右されない上に着実に昨年比で数%は増加して来ているのだから、自らの決断に納得していれば良いのです。がここに来て某大手シューズメーカーから月産枠いっぱいに量産を入れる話が来たそうで、そうなるとチマチマ1足ずつ作っているのが馬鹿らしくなる様で。最初の志はどこにいったのやら、その場の利益に惑わされてパターンオーダーを切りにかかったんですね。それもさ、真面目にそんな話をするのは体裁悪いし面倒臭い。となると、法外な条件改定を申し出てけんか別れしちゃうのが手っ取り早い。で、あえなくオジャン。そして図々しいのが木型や抜き型を返してくれていないそうな。それはその大手さんの注文にそのまま使おうって話です。訴えられたら全部無くすって判らないんでしょうかねぇ・・・・





という話を愚痴られつつ、なんか真面目に消費者の事も日本にグッドイヤーウェルトの靴の生産設備を残そうという使命感も色々考えてこのシステムを構築したのに、庇護しようとした工場とか職人とかに裏切られるというか、無知故の自分勝手で行き当たりばったりなやり方に振り回されて、旗振ったはずの自分が一番泣くというジレンマに囚われておりました。





いやこれ、エトスクラブに限った事じゃないんですよねぇ。きちんと誠実に販路を広げて、一過性ではなく文化やジャンルとしてきちんと定着させていこうと取り組んでいる商社なのに、その取引先であるメーカーが変に勘違いしてお高くとまった上に納品もきちんとして来ないとか。挙句の果てにオーダー入っている分迄作らず、そのくせに何故か雑誌社のインタビューは受けるからインターナショナルなブランドとして認知されてるって勘違いしてしまう。そんなのも記憶にあります。これは職人とはちょっと違うのですが、自分達の技術力を勘違いしてしまった例です。





日本の職人や工場に仕事を廻して、技術を継承していく事は大切だと思いますが、そもそもその職人や工場が目先の金や楽して儲ける事しか考えていないのであれば、自分で自分が身につけた技術を蔑ろにしている様なもの。小松氏は持論である“作品の良し悪しは人格の現れである”という事を何度もぼやいておりました。エンドユーザーに近いパターンオーダーと余ったらセールで叩き売られる大メーカーの量産品、どちらが職人冥利に尽きるかといったら一目瞭然だろうに、それよりも効率や金額の寡多が大事だと平気で言うのであれば、既に○ーガルがもうやってますけど中国にグッドイヤーウェルトマシンを持ちこんで中国製グッドイヤーウェルトを作っていて、いずれその大メーカーがそちらにシフトしたら金額大きいから薄利でやる仕事を中国に持ってかれ、近いうちに潰れちゃうんだろうなぁ、と想像するのです。





愚かなのが人間というものの本質なのかもしれませんが、物作りに携わる現場の人間こそ確固たる信念を持ち、芸術家ではなく自分達が文化の本質の担い手であると誇れる我が身を確立して頂きたいものです。





そうは言ってもねぇ、貧すれば鈍すという言葉もある通り確かに常に続けていく事の為に汲々とする日々が続くと、何処かで息が吐きたいし、その狭間で揺れる気持ちはとてもよく判ります。でも日々頭を下げる事になったとしても初志を曲げずに続けていかないと己の存在意義を失う事になりますし、一度それなくすと取り戻す事はほぼ不可能です。いずれにしろパターンオーダーのポジションに何かおかないといけないので頭を悩ませております・・・


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2013年05月22日

個人的に維新の会には期待していませんが

すいません。ネットショップの方に新作を一気にアップしていたら疲れてブログに迄手が回りませんでした。たかだか22点ばかりなのですが、1点につき平均で写真5枚とそれの説明とメインの説明を書いてアップしたら結構な労力です。で、商品紹介の文章をそれに加えて書くとなると同じ様な仕事なだけにちょっと食傷気味でして。どうせ書くなら“また黒いブログや!”と字の多さを笑われても目先の違う内容を書く方がまだ書いても苦にならない、という事で。





本日は商品紹介を休んで橋下さんの一連の発言について思うところ等を書き連ねてみようかと。





そもそもこれ従軍慰安婦に対する発言の問題ではなかったと思います。その点で既にマスコミは論点を意図的に誘導している節があります。事の発端は沖縄県での米兵の婦女暴行やら不法侵入やらが相次いだところから大阪市長ではなく衆議院第3勢力としての日本維新の会代表として沖縄の米軍基地司令官と会談し、国政政党として沖縄県民に対しこれ以上の精神的な苦痛を与える様な事を米軍はしない様な対策はとれないのか、という趣旨の話だったはずです。





地位協定を盾に日本の法律で裁かれないのであれば、被害にあった国民は泣き寝入り。それじゃやってらんないじゃないのさ、そんなにお宅の兵士が性的欲求を満たされず不満に思っているのなら一般市民に害を及ぼすよりは日本国内、ひいては沖縄の基地近くで営業している認可施設としての風俗を利用しては如何ですか?という提案でした。





そしたらこの米軍司令官、どんな思春期の童貞高校生を兵士に仕立ててんだか知りませんけどキャンプやスポーツ等で発散させるから大丈夫だ(余計なお世話だ)、我が国に女性を性の対象としてしか見ない様な不届きな者はいないとおっしゃったと。へぇ、その割にはよく問題起こしてニュースになってますけどね・・・・





そこで初めて橋下さんの口から従軍慰安婦についての発言があった訳で。まぁそれをその当時から国が存在している、という意味で第二次世界大戦以降の戦争を例に取った様ですけど、第二次世界大戦中は米国を始め連合国軍もドイツ軍も慰安所(要するに極限状況で戦闘を続ける兵士の精神を崩壊させない為の捌け口としての認可売春所ですわな)を設けていたじゃないか、ベトナム戦争時だってベトナム人とアメリカ兵の混血児がどんだけ生まれてるんだ、村を焼き払った時に女性に暴行したなんて確認されている証言だけでも多数あるのに、格好つけてんじゃないよ、という意味で従軍慰安婦を兵士の暴発や精神崩壊を防ぐ為に利用していた事実が過去にあった、と言った訳です。これは純然たる事実ですから、なかったというのは北朝鮮のTV放送並みに白々しくもお粗末ですから、米軍もサクッと認めてしまえば良かったのに。でもプライドが許さないんでしょうね、文明国の最上位にいると思っていらっしゃいますから。





なのにいつの間にか、橋下は従軍慰安婦を肯定している、女性を性の対象としてしか見ていない、等と社民党の女性万歳な党首あたりが噛み付くのです。事実を事実として認め、その上で全体の有り様として事件が起きない状態にしていくのが政治家の仕事。耳障りが良い言い方をしたら選挙に向けて好感度があがる、等という下らない発想で政治をしている輩はとっとと辞めて欲しいのですが。





そもそも。女性の人権を主張するのならキャバクラから規制しなければなりません。思わせぶりに男を誘って貢がせて酒のませて金を稼ぐビジネスです。上手い事男に媚びて金を稼ぐ事を良しとする女性に対して憤るべきであって、その存在を認可する法律を作った国会に所属しておいて何を手柄首が目の前にいるみたいな主張をしているのでしょう。





マスコミもこれを確かに煽ってはいますが、それでもそのマスコミの報道から時系列で読み解くと上記の様な内容になります。要するに納得づくで風俗店等で発散してくれる分には構わないんだから一般市民を襲ってくれるな、と言っただけだってちょっと読み漁ればすぐに理解出来るのに、街中のインタビューだ支持率だを見ると、それすら出来ないお粗末な人間が我が国にはなんと多い事か。





タイトルに書いた通り、道州制なんて個人的にどうでも良いというか、単にスクラップ&ビルドをやればその時だけは財政状況が一時的に改善する、というだけの提案にしか見えませんから日本維新の会、期待していないというかあまり好きになれないというのが私の率直な意見です。それでも橋下さんの今回の発言は間違えていないし、的確だし、現実をしっかり踏まえた主張です。だから主張を取り下げる必要なんてないし、取り下げろという様なヤツに政治家をやっていて欲しくない。





彼が謝るとしたら、私の主張が上手く伝わらないのが自分の説明不足ならごめんなさい、という程度です。私に言わせれば理解出来ない奴らが悪い、という事です。よく最初から読めば良いんです。彼の発言とその流れを。伝わらないのはマスコミのせいだ、というのは多少八つ当たり気味ではありますが、きちんとまとめスレみたいなのを新聞各社がドカンと1面使って書けばむしろよく言った!という事にしかならないと思うのですがねぇ。





うちの国はそういうところ変に小狡く立ち回ろうとしますからねぇ。731部隊はどうにもこうにも釈明出来ない様な事やっていたし人数は関係なく沖縄の米兵以上に中国本土で暴行等を働いた事実は事実。人数がおかしくても一般人を盾に使った蒋介石の戦術にハマったにしろ、南京で捕虜を置いたまま進軍する事が出来なかったにしろ大量に処刑した事実は事実。アウシュビッツを含むユダヤ人の絶滅収容所も事実ならパリ解放時にドイツ軍相手の売春婦が丸刈りにされたのも事実。従軍慰安婦に限らず過去の事実は認めて真摯に反省し、その上で是々非々を毅然とした態度で示せば国際社会の評価も上がるのではないでしょうか。ただ穏便にまぁまぁ、我々は戦争を放棄してますから、というだけではその場は済んでも舐められるというか、卑屈なだけで尊敬は得られないと思います。





橋下さんもくだらなくてやってらんねぇと思うでしょうけどそれでもその愚かな大多数に理解してもらう事が政治なんだと割り切って説明し続けるしかないでしょうね。ま、頑張って下さいよww


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2012年12月20日

公然とブログでマーケティングしている身ですが!

さてクリスマス前に後1点2点を除きジャケットやブルゾン、コートを始めとする重衣料からマフラーやイヤーマフ等の小物に至る迄ほぼ冬物の紹介を終えた今、この間書いてやらずにおくべきか!と書いていたステルスマーケティングのお話を。別にペニーオークションに限ったことじゃないので、むしろそれに煽られて買物をしたり、グレーなものを白いものの様に宣伝したり、という風潮そのものに問題がある、という事について書きたいのです。





そもそも例えばですよ?竹中○人はモ○ットを利用しているのか。タ○リはアコムを利用しているのか。んな訳ネェだろ!!となりますわな。じゃぁファッションモンスターを歌うのは良いですけど彼女がジー○ー着てる訳も無いし、某48に至ってはトップからしてお洒落なインポート買いまくってるという情報もあり(そっちの方がむしろリアリティがありますよね、それだけ稼いでんだから)。





でもさ、そんなの誰も勘違いしていないと思うんですよ、今となっては。今回はペニーオークションが詐欺で摘発されたからその片棒担いでる、って事で問題になった訳で、そもそも金貰えればあからさまに犯罪だと先に判っていない限り、余程イメージを崩す様なものでなければやってしまうのがタレントやそれを売りにしている事務所でしょう。





つまり、確かに小金を貰ってサクラ宣伝していた、というのはお粗末ですし威張れたもんじゃないですけどね、問題はむしろそんなものに信用するしない、物の良し悪し、安易に金を借りる事の是非迄左右されてしまう消費者にあるという事です。好きだから、信用しているから、そんな言葉で片付けられるものではないでしょう。何しろほぼ0金利で日銀から資金を調達出来る銀行がサラ金を運営しているんですよ?今となっては。まだ違法金利で運営されていた時は体裁もあって資金を提供していても自らの名前は出していませんでしたが、今となっては法的な根拠があるのを良い事に、銀行の名前を出して元金をただで手に入れて18%で貸してるんですから住宅ローンやカーローンはともかく普通融資なんて銀行は馬鹿らしくてする訳がありません。銀行行ったらサラ金紹介されたってオチです。そんな事の片棒をその宣伝をしているタレントは担いでいる訳です。法に触れない、それは事実。でもボロい商売で一般庶民の感情からして18%だとか取っておいて利子は0.1%ってどういう事よとなりますわな。それで恥ずかし気も無く増収増益ですっていってるんだから銀行の厚かましさはこの上無しです。





そんな銀行が儲かる為の投資先が大きなビジネスを廻しているところ。ファミレス然り、ファストファッション然り、巨大スーパー然りです。ファミレスチェーンのせいで地元の大衆食堂や喫茶店、個店の料理屋がどんどん潰れます。ファストファッション結構ですけど今何処の駅に個店の服屋が10軒とかありますかね?北関東の駅前がシャッター商店街で無駄に再開発で箱作ってますけど完全に無駄遣い、だって地元民はでかい箱=アミューズメントスペース的に捉えるからみんなイオンに行っちゃいますもん。多分1日のTV宣伝の内、ファストフードや宅配ビジネスを含めると、今書いたものの宣伝がどう軽く見積もっても半分を占めてしまうでしょう。





多様化という言葉があります。国連が数年前に生物の多様化年というのを設定しておりました。種類の少ない生態系は脆弱で崩壊し易い、という概念の下、多様な生態系を守ろうという取組みです。これって経済的にも同じ事が言えると思うのです。選択肢がある、好き嫌いや欲しい欲しくないを様々な価値観から選べるから何かが駄目でも何かが良い、という事で共存共栄出来るのです。でも郊外の大型スーパーとそこに付随するファストフードとファストファッション、大手チェーンの組合わせに選択肢なんてありません。で、そこに眼を向けさせない為にタレントを起用してCMを打つ。そしてそれに踊らされる。その構図がある限り、インフレターゲットを設定しようが借金増やして公共事業をバンバンやろうが、効果は殆ど無い、と断言出来ます。こんなところで断言しても仕方の無い事ですが、まぁ自民党の自己満足で終わり、結果として国の借金が増えただけで儲かったのはゼネコンぐらい、という結果に終わるでしょう。





ですから。そもそもタレントが何か言った位で踊るなってことです。あれを称してステルスマーケティングだなんてチャンチャラおかしな話で、全然ステルスじゃないですよ、あれ。大した事無くても凄い!と思わせてしまう様な某テレビショッピングの様なのが真のステルスマーケティングであって(笑)、タレントな時点で客寄せパンダだというのがバレバレ。最初の方で例に出した某48のリーダーさん、プライベートをあるところで見かけましたら良い趣味していて良い服着てました。1点1点流石というセレクトでした。でもそんなの絶対宣伝しない。当り前です、金貰ってないんですから、プロの客寄せパンダはそうじゃなきゃ。まだ誰それが私服で着ていた、本当に通っているイタリアン、そういう情報だったら価値がありますよね。香港に売られる前の某猿人ロゴのブランドなんかも有り得ない位お笑い芸人が衣装で着てました。そういうものに踊らされるのは残念ですし愚かしい事なのです。





マーケティングであるのなら、マーケティングであるという事を明確にし、それでも読んでもらえて楽しんで貰えて、その上で欲しいと思ってもらえないと意味がありません。そしてそれが伝わる相手でないと意味がありません。有り難いことに私のセレクトがペニーオークションのステルスマーケティング如きに引っ掛かって文句を言っている人から評価される事はありませんが、だからこそ儲かる事が無いとも言えますww





多様な種類が存在出来、本来あるべき姿を模索している作り手売り手の物が売れる、という事はそれだけ民意が高くないと無理だと思います。マーケティングのみならず、無知でその場限りが良ければ良いという価値観で楽しく生活出来る、ある意味幸せな時代はもう戻っては来ないでしょう、ならば自らの目利きを鍛えるべく日々を過ごさないと政治に文句を言っても社会そのものを憂いてみても後の祭りになる時期に来ているのではないでしょうか。





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2012年10月25日

私はツィッター放置気味ですがw

レザーのボンバージャケットとライダースジャケットの写真撮影は完了しております。Pコートの撮影も。でも1点位は紹介せざるを得ないでしょうけど出来れば11月に引っ張りたいのが本音。11月に入ったら重衣料を中心に冬物の紹介を始めても時期的に良いかと思われ。機能のストールのところで書いた秋と冬の境目についていえば11月はまだまだ秋。でも来るべき冬に向けて紹介し始めるのなら11月なら早いとは言われますまい。ブルゾン類はこのレザーとナリフリのマウンテンパーカ、そして最後の大物投入であるクリストファーレイバーンが来れば終わるんですが、そんだけあればコートやジャケットの類いと合わせて12月1月の紹介迄乗りきれるかなぁ・・・いや乗り切らねば。そうそう、週末にはグローバーオールのリーファーコートとダッフルコート、そしてルミノアのダッフルコートも到着する様です。もうこりゃアウター祭りの様相を呈してきましたww





さて、今日はチョイとゾゾタウンの社長がお子ちゃまな女子高生の身勝手なつぶやきにマジ切れして乱暴なツィートをしたら大炎上、というニュースを読んだので、なんて私は良いお客様と良い関係を築けているのだろうと自惚れながら、昨今の売る側と買う側の関係性の劣化について物申す、というお話。たまにはこんな話もさせて下さいませw





なんでもゾゾタウンで1,050円の買物したら、送料と手数料で700円かかったと。1,050円の物買ったのに1,750円だなんて詐欺だぁ!とその女子高生は呟いたんだそうな(あまりの事態の拡大かに恐れを成したその子はアカウントを削除してしまったそうなw)。それをなんでそんな暇な事したのか、そこは自社の評判等を自分で確かめてみたかったのでしょうかゾゾタウンの社長はおそらくゾゾタウンというキーワードで検索し、ツィッター上でそのツィートを見つけてしまい、そのツィートに対して余程むかっ腹が立ったのか自らのアカウントで“詐欺??ただで商品が届くと思うんじゃねぇよ。お前ん家まで汗水たらしてヤマトの宅配会社の人がわざわざ運んでくれてんだよ。お前みたいな感謝のない奴は二度と注文しなくていいわ”とツィートしたんだそうなww





そしたら大炎上。色々なツィートが寄せられて読んでみたらなかなかに面白かったのですが、匿名だと偉そうに余計なお世話をする人→送料が高いなら安くする方法を考えればいい、そうでないと伸び代がない(ここ迄会社を大きくした経営者に伸び代がないだなんてww)とか問題を取り違えて糾弾する人→お前が荷物運んだ事なんてないのにヤマトをダシにするな、ヤマトに謝れ(いやこの社長はその汗水の代償が700円でそれを負担する事に不満があるなんてどういう事よ!と主張しているのであってそもそも社長が配達する会社なんてないだろうよw)とかもうなんでこんなに世の中には頭の悪い人が多いのだろうと呆れてしまうツィートが盛り沢山ww





挙句の果てにこの社長も大企業だけに大衆評価を気にして平謝り。確かに大人げないし、お子ちゃまの本質というものを理解していないとは思いますけどね。この発端になったツィートをした女子高生、子供らしいというか大人になっても調子に乗ったツィートをしている人が多いので一概に子供だという事のせいにするのはどうかと思いますけど、ツィッターを童話“王様の耳はロバの耳”で話してはいけないと言われて耐えられずに穴に向かって叫ぶ穴の様に認識していたんだと思うのです。匿名性というものをそういう風に使って良いものだと勘違いしているというか。この子だって別に欲しかったから送料も払って某かを買った訳で別にそれが法律上の詐欺だと思っている訳じゃないでしょう。そもそも詐欺という言葉についての認識だって騙されて買わされたという意味ではなく、少ないお小遣いから買っているのに1,050円だったらそれだけで買えれば良いのに700円余計にかかってしまうなんてちょっと不満、でもそうでないと手に入らないシステムなんでしょうがないから買ったけど何処かにその不満をぶつけたい、そのぶつける時の表現として詐欺という言葉を使ったのであって、その言葉のエキセントリックさを許容してくれるのが匿名性の高いバーチャル空間でありツィッターだったのでしょう。





ツィッターや2チャンとかリアルでも友達同士だと何か嫌な奴がいれば簡単に“死ねば良いのに”とか“消えて欲しい”とか書いたり言ったりする人はお子ちゃまを中心にその良し悪しとは別に多いですし、嫌な事があれば、例えば試験の出来が悪かったり何か嫌な事があると、些細な事なのに“死にたい”とか“誰もいなくなれば良い”とか書いたり言ったりする人も多いです。じゃぁ実際に自ら率先してそうなるべく行動をとる、という人がいるかというとそうでもない。中にはここんところ日々明らかになる尼崎のおばちゃんの所業の様にとんでもない奴もいますが、これは稀な例でこんな奴がその辺中にいるかというとそんな事はありません。





要するにそんな軽い気持ちであって、本当にゾゾタウンが詐欺を仕掛けて私はその被害にあった、なんてその女子高生は思ってもいなかったと思われます。が、自社を愛する社長、見たらブチッと切れて前述の発言をしてしまった。あれですかね、この社長も巨大ネットショップの創業者だけあってネットに毒されていたんでしょうか、匿名じゃなくて自らのアカウントで地が出てしまうベランメェ口調で乱暴に書いてしまったんですからね。多分この女の子が目の前で“詐欺だ〜〜、安い買物したつもりなのにぃ〜〜送料かかってお小遣いもうヤバい〜〜、ゾゾタウンの馬鹿〜〜”とか叫んでいたら、きっと“うんうん、うちのスタッフは優秀だ、少ないお小遣いが更に少なくなる事が判っても買ってしまい、そんな買物をしてしまう自分に対するやるせなさを逆切れしてうちの会社に向けてしまうぐらいにどっぷり浸からせてるんだからww”と思えたと思うのです。





私はお客様の“(堪えきれず買ってしまいたくなる)危険な品揃えをやめて下さいよw”とか“買ったせいで今月何も出来ないですよ、どうしてくれるんですかw”という振りに対して“よりその言うところの危険度を上げていきますから気をつけて下さいね”とか“いやいや、お買上げありがとうございます、でも物があるんだから満足じゃないですか、来月はそれ着てお出掛けして下さいよw”とか普通に返して楽しく会話してますけどねぇ。





そりゃ安ければ安い程同じ物なら良いと思う人もいるでしょうけど、例えば2,100円の物がセールで1,050円になっていた場合、ゾゾタウンは普通に仕入れているのであれば既に赤字。完全に処分価格なのです。そこに送料をただにしたらその分更に赤字。慈善事業しているんじゃないですから、しかも商売っ気のあまり無い私に比べてガッツリ売って利益を上げようという大規模な会社ですから見映えがいくら良くても明らかにマイナスになってしまうサービスなんて提供する訳もありません。そもそも送料というのは何でもかんでも無料にするものではないと思うのです。もしやるなら感覚としては商業施設で某か以上の金額を買物すれば駐車場代が2時間ただとか3時間ただとかいうのと同じ感覚です。サービスして採算が合う条件での適用が当り前です。本来なら買物だって遊びにだって往復分の交通費は自腹で出すもの。送料はそれと同等の物で、うちもネットショップでは10,000円以上のお買物で無料にしていますが、高額のお買物に対するサービスです。





アマゾンは1つ1つで見たら送料以下の商品もしくは送料が利益よりも多い商品の送料を無料にしたら赤字ですが、全体で見れば送料よりも利益の大きな商品の方が多く、送料無料と謳う事で集客が大幅にアップする事から低価格商品の送料は宣伝広告費の一環と考えて実施しておりますが、ビジネス的には成功してますしありですけど、個々で見たらとても可笑しい話です。そういった総量的な捉え方が当り前だと思う消費者が増えた社会はあまり良いとは思えません。





とまぁあまり突っ込んで書いても話が逸れますから戻しますけどね、要するにそんなビジネス論であったり消費者の際限のない要求への迎合はアリかナシかとか、会社が大きくなると小さな消費者を蔑ろにするのかとか、そういう論点はまったくズレてますよ、という事が書きたかったのです。その女子高生は少なくともそんな事考えてないでしょうし、ささやかなオシャレをお小遣いの範囲内で楽しむ極普通の子だったと思います。今時の高校生らしい無責任で奔放な発言をツィートしていただけで。それだって先に書いた通り、買えて嬉しいという気持ちの裏返しだったと思いますし。





それをそう捉えられないゾゾタウンの社長の余裕のなさが気になりますけどね。もしかしてゾゾタウンて売上げは伸ばしてるけど利益は減っていて苦しいとか??等と邪推してしまいます(こんなこと書いたらすげぇ切れたコメントされたりしてww)。そもそもファッションにしろ家具やツールにしろ、そのジャンルを全て自分の会社で独占しようとするかの如く拡大するビジネスモデルというものが私は好きではありません。千差万別ある中で、人気があるという事はマスに受けているという事で、そこには個性は生まれません。他の人とは違う自分というものに拘りのない人や個性を主張する事に憧れつつ不勉強で騙され易い人を相手に物を売りたいのであれば、それがオシャレだとか通だとか判っている人だという幻想を抱かせてその幻想を売る様な事はやめておいた方が良いと思うのです。法律上詐欺罪ではありませんが、言語としてその手法に対して詐欺という言葉を使われても仕方がありませんから。そういう意味では駆け引きを楽しんで貰うとか言い訳しつつも思わせぶりな態度を取って勘違いさせてお金を使わせるキャバクラ等の風俗と同じ事です。





本来物の価値が判る人なんて世の中にそうおらず、その価値が判る人の中だって嗜好は千差万別なのに、先人の積み上げてきた文化を理解しつつ私の提案が自分の嗜好に合う方を客として望むのであれば、私がカツカツで店を廻しているのも当然と言えば当然。それ程ハードルを上げているつもりはないのですし、今時の若い子はこんなもんさと認識し、誰だって最初から知識なんてないんだからとお客様に蘊蓄をたれてレベルアップを図るキャパはあるのですが、それでも譲れないものは譲れませんしね。譲らない事と引き換えに万人受けせず儲かって笑いが止まらない程の拡大もせず。それでも何とか続けて行けているのはお客様の支えあってこそ。そして対等且つフレンドリーな関係を築けているからこそだとその大炎上のニュースを見て有り難さを噛み締めた次第です。





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2012年07月10日

世の中では同じ図式が同じ様に展開されているんですねぇ

昨日書いたセール時期のお話。これって原発の可否や民主党の姿勢等にも通じるものがあります。何が通じているって目先の利益追求の為に面倒臭い事や根本的な解決を先送りにしていたら二進も三進も行かなくなって、その帳尻を無理矢理合わせようとすると色々な軋轢を生む、という事がです。





そもそもセールなんて期末歳末に行われているものでした。決算前に在庫を掃く為のものであり、その為に安くして売ったのです。それが結果としてセール迄物を買わないお客さんを増やす結果になり、ならば売上げを立てる為に、という事でどんどん前倒し。決算前でボーナス後ですから元々は7月も後半に入ってから行われていたものが、気が付けば6月中旬には始めているところが多くなっております。それで良いのか。企業は定価で売る時期がとても短くなり、最初からセールを見据えた利益率で物を作る。ありもしないブランドイメージで推すからパッとせずそもそもへたるのも早いからセールで買うのが丁度良い。お互いの利害が一致している様ですが、負のスパイラルに落ち込んでいるのは間違いありません。企業はジリ貧だし消費者はものに対して敬意を払わない、という。





原発はまさにそう。福島の人たちは我々は被害者だ、保証しろと言いますが、以前も書きましたがその自治体に撒かれている助成金や東電からの寄付金を合わせたら今回の損害を充分賄える分のはずです。法改正して助成金も寄付金も用途は自由、そのかわり事故があった時の補償はないから保険でそれ貯めとかなかったらあとは知らないよ自己責任で宜しく、という風にしておいた方が良いと思うのです。大飯原発にしても地元は稼働を求めたんですから、事故が起こったらどうにかしろ、というのは無しですよね。街の存続の方を安全よりも優先しているんですから。





消費税も同じ。削る方は直接様々な既得権益を持つ方々から抵抗があるから先送りして、選挙しないで国会内だけで議決出来る消費税は真っ先に決めてしまう、という。みっともないと思う人、それはセールを取り巻く売る側と消費者の関係も同じなのです。自分に実害がなければ実感が湧かず、なかなか我が身の事として考えられないものですが、全ては同じ構図なのです。





セール自体を行う事について、私は別の観点から賛成ではあります。節季毎のご挨拶というかお客様に対する感謝として、夏と冬に何らかの割引を行う、という点では。その時にしか来ない客を相手にする為では決してなく、お買物をして下さっているお客様のみに対して行うものとして。それこそ在庫処分セールなのであれば普段いらっしゃらない方に持ってけ泥棒的に捌くのは良いんですけど、それを待ち受けているなんてもう客っていうよりもハイエナの様じゃないですか。それでこっちはお客様だなんて態度取るクレーマーに来られるのはまっぴらご免です。





そんな中伊勢丹とルミネが今年のセールは14日からにすると言い出しました。彼等は前倒ししたセールのせいで利益が上がらなくなる現状に対して是正する為にそうするといっているのですが、それ自体は問題ないんですけど先にやっている方にアドヴァンテージが出来てしまうのが現状です。ただきっとセール自体が間延びして利益が上がらない事に比べたら良いんでしょうけど、問題は同じ商品がこちらの店では半額で、お隣のビルでは定価となると、そりゃ買わないでしょう、定価ではってことなんです。ですからやるんだったら全部一律でやらないといけないと思います。





翻ってB.A.Tでは単にセール時期の是正、という観点から今年は14日からにします。個人の好きなの1点20%オフは7月1日よりご利用可能となっていますが。恒例のクジ引きとかは15日以降にしております。これが世の流れになって根本的な問題の先送りや無闇に場当たり的な対策をとったりするのが是正されると良いんですけどね。





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2012年06月26日

戦う君の歌を

さて。なんか読んだ人から問合せが来たりしていちいち答えて回るのも何なので。書いてしまえばそれで済む訳で。あるお店の話、と書いた。B.A.Tの様にある程度都心から離れた場所に店を出しているところではなく、都心にあるお店の話だ。近年頓に感じる事だが都心に個店という物が無くなってきている。原宿や青山は都内でも有数の地価が高いエリア。それが渋谷・恵比寿・代官山・中目黒辺りでも同じだろう。しかしその結果、大規模にビジネス展開をするチェーン店が殆どになってしまった。別に大規模な事業が悪いなんて事を書く気は毛頭ない。だがクオリティの高い物を大量に作る事で生産効率を上げ、材料費を落とし利益率を上げている、なんて可愛らしくも理想的な業態で成功しているところなんてまずない。殆どがアジア生産で生地もアジアで調達し、本来ならそれファストファッションですよね・・・という物をイメージ戦略で高く売っているに過ぎない。だからビジネスとして成り立つ。個人や小企業ではそれが出来ないので同じ価格なら利益率が低いから淘汰されてしまう。





そうやって出来上がってきた街に魅力はない。無いというと語弊がある、薄れてくる。そしてそこで買う人間の知識や文化に対する造詣も薄っぺらな物になる。人の価値観はそれそれだと嘯いて我が国を代表する商業地で本来文化の中心地であるはずのところをこんな風にしてしまったら、もう取り返す事は出来ない。別にB.A.Tが客でごった返す程売れない理由にするつもりはないが(負け惜しみとかじゃなくそんな状況下でお客様に満足な応対が出来ない様な売り方は願い下げなのでw)、真っ当な店は真っ当が故に淘汰されてしまう。その街に集まる人間にとっては真っ当である事が異質であり、文化の本質であるが故にその他大勢の上澄みである自分達の価値観とは相容れないからだ。そういう価値観を形成しておいてそれが大多数であるのにも関わらず、価値観は人それぞれといって個性があると主張してしまう。





ある店、というのはそういう輩に一切迎合せず己を貫き通していた店だ。当然そんな店の店主は世にいう変人だ。一風変わっているとかではない。己の思うところを貫き通す為には他人とぶつかる事も辞さず、その主張は大多数の人には受け入れ難いものだ。しかしそこにある物は紛れもない本物。それに比べたらこう書くのもなんだが私が扱うのはジェニュインではあるけれどオリジンではない。変な言い回しだがどういう事かというとその店は紳士服の源流たる英国の1920〜60年代の物だけを取扱うアンティークウェアショップなのだ。





過去の文献や写真等からその当時の風俗をイメージして着方の提案をしたり、何年代風なる服を作る事は出来る。が、その当時の本物の前には個人の思い込みや勝手なイメージが投影された物であるという面を露呈せざるをえない。それ自体は悪い事じゃなく現代風にアレンジして今着るのにはバランス良く出来上がっているかもしれない。しかしそれを確固たる物として自信を持って他人様にお勧めするからにはオリジナルの姿を知らなければならないと私は思っている。薄っぺらな知識でこんな感じという物を作っておいて賢しらに何年代風を気取るのは如何なものかと。この仕事を始める遥か昔、大学生の頃に見つけて以来20年、ずっとその店に定期的に訪れていた。その店の名は“POACHER(ポーチャー)”。


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私は決して良い客ではなかった。何しろまともに買わないのだから(笑)


それでいておもむろにやって来て気になる物を隅々迄眺め眇めて帰っていった。今なら判る。私はどういう人とお客様として付き合いたいか。やっている事に賛同するのであればそれを口ではなく行動で示してくれる人とお付き合いしたいのだ。良いと思う、と言いながら何一つ買わない。買えないのではなく買わないのならそれはそういう店を知っていて良いと思う自分の感性を自画自賛しているのであって、店を支えて共に生きていこう、という相互関係は築けない相手なのだ。それでも私はそこ迄はしないが、展示会に行って発注かけて手に入れられる物ではなく、足を使い海千山千の相手と渡り合い、己の目利き1つを武器に探しまわって手に入れて来た物であればその店に並ぶ商品への思い入れは並大抵ではないだろう、それを判らない様なヤツと口も利きたくない、という気持ちは理解は出来る。





最初入っていった時の事を未だに覚えている。弱冠20歳の若造が意を決して入っていったのだが。この重厚な扉は基本的に閉まっている。中は横のショーウィンドウからしか伺えない。高校生の頃にDCブランドの洗礼を受け、その後セレクトショップを覗き始めた程度な大学生にとっては非常に敷居の高い店だ。しかし気になる。怖ず怖ずと扉を開き入ってみたら、声もかからないしタイムスリップしたかの様なアイテムがところ狭しと並んでいる。そして中に進むと店の奥のカウンターで煙草をくわえて一心にフライを巻いている中年の男性が。お前の様な若造が買えるものなんてないんじゃねぇの?そんなオーラをムンムンと発しながら黙して語らない。





まだその当時は渋谷から原宿にかけてリサイクルショップではない古着屋が沢山あった時代だ。ただヴィンテージという物は殆どアメリカからの物だった。ヨーロッパ古着の名を掲げる店は殆ど現行品に毛が生えた様な物ばかり。もしくはモード系のレディス専門とか。まぁパリはモードの都でしたから。そんなもんだろ、と思っていたから紳士服についての知識はメンズクラブのムック本やらバブル全盛期で足を踏み入れるのも恐ろしい値段の物ばかり売っていたユナイテッドアローズの原宿本店等で教わって得たものだ。それが圧倒された。獣臭い(アザラシの脂だったので)英国生産のベルスタッフや創業初期から年代別に揃えてあるバーバリーのトレンチ、重厚な3つ揃えのツィードスーツ。何より凄いのがその手の年代物の古着でスーツやジャケットだとウールなだけに虫食いが激しく穴だらけな物ばかりなのに、この店の物は90年を経た今でも着用に問題の無い美品なのだ。そしてそれ等を彩る本物の道具達。ただただ物に圧倒され、店主に圧迫され(笑)後にしたのを覚えている。最近その話をしたら店主の山田さんから“俺もその頃はまだ色気があって俗っぽかったんだなぁ”なんて笑いながら言われた。





しかし入ってみたのは正解だった。何しろそこには本物がある。言うなれば触って着られる博物館なのだ。まぁとても迷惑な発想だ。そしてその価値に関しても十分に認めるが故に、英国からテーラー(確かデヴィッドバトラーという若きカッターだった)が来日してビスポークで作ってくれるというシステムをユナイテッドアローズ原宿本店が始めた頃、我が国の服職業におけるトップバイヤーとしてユナイテッドアローズを全盛に導き今尚その輝きが色褪せる事のないかの栗野氏に奨められて一発作るか、という事になったからどういう形にするかとか、細かい仕様をどうしようか、といっては買いもしないのにポーチャーを訪れた。丁度その頃20年代スタイルに憧れていて(シャーロックホームズ愛読してたせいw)、それこそ店の中でもお宝級なスーツをひっくり返しながら見ていった。よくブチ切れられなかったものだww





そしてそんなオタク振りが嵩じて自分が店をやる事になり、オリジナルで服を作り出すと更に通う事に。嫌な客だったなぁ、本当に。今にして思えば本当に申し訳ない。ただ幾つか言い訳させて頂ければ決して買おうという気がなかった訳ではないのだ。これは凄い、まさに思い描いた通りの服だ、やはりこの時代の服はこうだったのか、と得心するものに限ってサイズが合わない。古着の最大の欠点はそこにある。いや判ってはいる、そんな中でミラクルフィットに出会うことこそ醍醐味だという主張もある事は。しかし結果として欲しいと思うものであればある程何故かサイズが合わなかったのだ。そして自惚れる訳ではないがこれはと思うものに限って本当にレアな物だけに高い(汗)





この店の凄いところは本物な上に実際に着て貰う物として手に入れてきているので、虫食いなんて殆ど無いものばかり。それだけに一般的な古着とは値段を異にしている。綿で出来ているヴィンテージのジーンズ以上に価値がある(需要はないw)のだが、それに比したら安くはあるが、10万オーバーなんて当り前。英国だって古い物が残っている訳じゃないんだから見つけたらそれなりなお値段なのは当り前でその割には良心的ではあるのだが、サイズが合っていなくて着れない物には私物としても資料としてもその金額は出せなかった。申し訳なくもディテールや仕様の参考にばかりさせて頂いていた。時にささやかな物を買いつつも。





骨董店や画商等を買い支える方がいる。だからこそ我々は現代において歴史に残る名品を目にする事が出来るのであり、それこそお金を持つ者だから出来る文化貢献に感謝するのであるが、今にして思うのだがそれに甘え過ぎていた。そう、触れる博物館という表現をした様に、この不撓不屈の精神でこの店を続ける、その信念が頑固で偏屈と映るが故に大多数の人から嫌われ、それが至極真っ当な対応だと納得出来る多少のMッ気もしくはめげない心を持つ人からは気まぐれさも含めて愛される男はきっと死ぬ迄この店を続けると思っていた。しかも失礼ながらしぶとく長生きして。





今月の頭。トリッカーズの仕込み云々といっていた頃だ。コードヴァンのスワッチを確認しに行った帰りに久しぶりに、と思い寄った。珍しく扉が開いている。初めて見た。中に入ると声をかけられた。これまた珍しい、しかもかなり明るくにこやかな話し方にいつもと違うな、と思っていたら言われた。





“今月で店閉めるんですよ”








え?ちょっと待って。体調でも悪いのか?かつて余命宣告をされ包丁を置くから包丁納めの料理を食べに来て欲しい、と言われて行ったでんねんまんねんの事が頭を過った。





“いやね、体調が悪いとかそんなんじゃないんですよ。もう27年やってきて去年の地震の後あたりでもういいかな、って思っちゃったんですよね”





え・・・それはいったい???こんだけ信念を持って続けて来た店なのにそんな終わり方でいいのか。というかここが無くなったらいったい何処で本物に触れられるというのだ(実に手前勝手な発想だw)。





“去年の5月から仕入れに行ってないんですよ。行けば何かはあるんだろうけどそれを短期間に底迄浚って見つけてくる気力が湧かなくなったというか。やめるって言ったらお客さん達はやめないで下さいよって言うけど惜しまれているうちが華な気もするし。”





ショックだった。私もいつかそう思う日が来るのだろうか。それは取り敢えず置いておいて、個人がやっているという事を無視していた自分が情けなかった。博物館はそれ自体が見物料を取っているんだから成り立つけれど、触れる博物館と認識していたと思うのは間違えだった。ただで触れる博物館だと認識していた自分に気付かされた。自分の想い描いた人生を送る為に覚悟を決めて戦ってきた人がいるのにその人の戦果をただ同然な買物程度で手に入れていた。そこから得たものが多ければ多い程、己の卑小さを感じずにはいられない。





私はそれでも他の人にこんな店があるよ、という事を語った事が度々あったが、山田さんは言った。





“うちの客は俺の事を知っているから知り合いとかをまず連れて来たためしがない”





確かにネット上で検索しても一部お客さんのブログと2ちゃんねるの英国紳士スレかなんかに名前が出るだけだ。また同業者じゃない限りこういう店だけに自分と被る人には絶対に教えないだろうし。





そして書かれるのだろう。





“久しぶりに前を通りがかったらポーチャー店無くなってた”と。最初に書いた。ポーチャーを知る人の中、そんなスレ見た者の多くは思うのかもしれない。やっぱりね、とかほらねとか。あんな態度でとかあんな値段でとか。笑わば笑え。それでもそこには27年の永きに渡り己を信じて戦い続けた人がいて、そこには本物がありそれは無くなってはならないもの、少なくとも私がそう思う場所だったのだ。なのに私も五十歩百歩な扱いをしてきてしまった。慚愧に堪えない。しかしそれでも私は己の想う処の為に戦う者でありたいと願う者だ。だから書く。やれる事をやる事にした、と。





ただでさえ長いブログなのに大変長くなった。付き合ってくれた方に感謝しつつ、今日はここで終わる。次回はそのやれる事の話だ。もう今月も27日。後3日でポーチャーというその店は歴史に幕を下ろす。明日からはもう整理作業に入るそうだ。次に書くのはそのポーチャー最後の日である今月末30日にする。懲りずに付き合ってくれるととても嬉しい。





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2012年06月23日

老兵は死なず

今月の頭からずっと、いつ書こうか、どう書こうか、と思いを巡らせていた事がある。ある店の話だ。そうはいっても新作紹介進めないといけないし。書き始めたらどうやっても1回じゃ終わらないし。看板をしまいに外に出て、昼間はともかく夜はまだジャケット欲しいな、と思いつつその話を新作紹介とどう絡めて書くかを考え続けていた。そして今日まずはその最初のハシリを書こうと決めた。ただ続けては書かない。何故ならこれはまだ現在進行形の出来事だから。最後迄見届けてから、結末が判ってから書いても良いのだが、書かずにはいられないので書き始める。





先に断っておくがこの話は長くなる。何しろ今日は本題に入らない。一言呟くのが主流の時代にお前のブログは長文に過ぎると言われる事が多いので先に断っておく。それと1つ判っているのは結末はない、という事。少なくとももしこうやってブログを書いていられない様な状況に私自身が追い込まれる事があっても、お終いにならない様誰かに継承しようと覚悟を決めたという事だ。つまり受け継がれていく限りお終いにならない。そんな取り留めもない話だ。





松本零士という大御所漫画家がいる。彼の代表作の1つである銀河鉄道999の映画版の中でキャプテンハーロックが永遠の命について語った台詞がある。古の哲学者の言葉より尻の青い頃の私に強烈に摺り込まれた言葉だ。





“例え、父と志は違っても、それを乗り越えて、若者が未来を作るのだ。親から子へ。子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いていく。それが本当の永遠の命だと、俺は信じる”





生きる道を違えた親子が相対し、かつて己が志し絶望し打ち捨てた道を歩む息子に対し、乗り越えるべき壁となって立ちはだかり全力で戦い打ち倒される。息子の糧となり折れてしまったかつての志が受け継がれていく姿に、自ら成しえなくともいつか成しうる可能性や血脈に満足して舞台から降りる。





そういう事なのだが別にこれは親子に限った事ではない。志であるとか、漢字にすると陳腐に思えてしまうが魂であるとか。そういったものは継承されている限り、受け継いだ人や時代時代に応じて変遷をしても本質は変わらない。いや、その本質が失われない事で紡いできた人全てが死なない、すなわち永遠の命を得る、という事である。魂と書くと霊的な意味合いに捉えられるかもしれないが、英語でフロンティアスピリッツという様な用法で用いられるスピリッツであり、精神性や心の有り様、という意味で使っている。取りも直さずこれは命と等価であるとして語っている。





しかしそれは継承されてこそだ。これは例に使わせて頂いた松本零士氏もそれを危惧し安易に面倒臭くない方楽な方に流される大多数に対し警鐘を鳴らしているのであり、事実彼の描く世界では信念を貫こうとする人間は少数であり、大多数はそういう人間を迷惑視し目を背け無難な生活に耽る。つまり継承する意思を持つ者は少ない。冒険譚を読むのも映画を見るのもそうだが仮想世界では逆境に挑む勇気に賛同する事も強い意思が具現化する事に感動する事もするのに、いざ実際の社会においては自己保身に終始して易きに流れる。その大多数から羨望の眼差しを送られ己を語るのは儲けた人間と成功した人間と才能のある人間だけだ。





だから多分この一連の話は大多数の人にとって興味がない。現実の話なのに儲からないし世間的な成功や栄光、そしてそれを得る才能とは無縁の話だからだ。そしてそういった事に無縁の人の築き上げてきたものについて熱く語ろうという私は、継承出来るかどうかはともかく継承していく者の1人でありたいと願っている。





老兵は死なず。たとえその人が消えてもその志や魂を継承していく者がいれば死ではない。戦場での死というのは不条理な断絶だが生き残って戦場を去る者にそれはない。だから老兵は死なず、の後にただ消え去るのみ、とマッカーサーは継いだのだろう。





ある店についてと書いておいて全くそれに触れず抽象的な話に終始して今日は終わる。最初の方で本題に入らないと断っておいたので勘弁して欲しい。でも続きを読むのに必要な前振りだったと続きを読んだら判って頂けるだろう。次に続きを書く頃には事態が大分動いている。それをこの目で確かめてからじゃないと進まないのだがそれ程先の事ではない。来週中には書けると思う。





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posted by mercier at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Pourvu qu'il fasse beau demain ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする